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猜疑心とは強く人を妬み疑う心!猜疑心が強い人の特徴を徹底解説!

猜疑心とは強く人を妬み疑う心!猜疑心が強い人の特徴を徹底解説!

恋活

人を疑う心を総称して猜疑心と言いますが、あまりに周囲が信用できなさすぎてとても窮屈な人生を送っています。ではそんな猜疑心の強い人の特徴とは?今回はそれをご紹介しますので、一度あなたも判定してみて人との関わりを見直してみましょう。

まひる
まひる
2018.05.30

猜疑心って何?

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猜疑心とは「さいぎしん」と読み、人を疑うまたは妬む心、気持ちのことを指すのですが、多くの方はこの言葉を聞いたことがない、またはその詳細な意味までご存じでない方がほとんどのようです。

何故なら、まず通常人は人を疑ったり妬んだりなんて頻繁にあることですが、そこで猜疑心という言葉は出てきませんよね?

猜疑心とはそれらの感情がとても強かったり、その度合いが大きい場合に使われる言葉ですので、世間によくある疑惑や妬みなどでは使われることはありません。

だから多くの方は聞いたことがない、そこまでの疑惑や妬みを抱いたり抱かれたりは普通ありませんので、それに伴って多くの方が猜疑心という言葉を知らないのです。

ですが、猜疑心という言葉を選んでしまうほどの人物がそこにいたら、またあなた自身が実はそうであったら・・・過剰な疑惑や妬みを抱えていることで、ほぼ確実に社会での支障となります。

ですので今回は、猜疑心の強い人にはどのような性質があるかをご紹介しますので、周囲に対しての評価はもちろん自己診断の意味でも利用して、人との関わりを一度見直すようにしましょう。

賞賛の言葉を素直に受け取れない

誰かに誉められた、また賞賛の言葉を受けた場合、普通ならとても嬉しい気持ちになりますし、それでもっともっと頑張ろうと前向きになることだってありますよね。

ですがそうでない方も一定数いて、いくら他人が誉めたところで賞賛の言葉を浴びせたところで、「何か裏があるかも」「内心バカにしてるんでしょ」などと思う場合もあるのです。

それこそが猜疑心で、他人からの賞賛の言葉を素直に受け取れず、そればかりか悪意を持っているなどと疑う、まさに冒頭で述べた猜疑心の定義に当てはまる性質となります。

ですが普通の感性であれば、誉められているのにどうしてそんな疑いの気持ちを抱くのか、また悪意を持っているとまで考えるのかが分かりません。

これについては、まず猜疑心の強い人の誉め言葉に対するイメージというのが、「お世辞」とか「心では思っていない」が前提になってるのが、ひとつの理由であると考えられます。

人がそんなに他人をすぐ誉めるようなことはない、何なら他人は陥れる対象でしかないくらいに思っていることが多いので、それに伴って誉め言葉を素直に受け取れなくなってしまったのです。

別に、お世辞だったり心では思ってなくてもそこはおだてられていれば、素直に受け取って自分の栄養にすればいいのでは?と思うところなのですが、この経緯で猜疑心を抱くタイプは無理なようです。

さらにもうひとつの理由として考えられるのが、その言葉を素直に受け取ってしまったことで裏で「おだててやればあいつは楽勝」とか、「簡単なヤツ」とかと思われるのが嫌という場合もあります。

自分はそんな単純じゃないという無言の意志、そして単純というイメージを付かせたくないという気持ち・・・それらにより、いくら誉め言葉を投げかけても響かないのです。

この特徴は、猜疑心の強い人なりの自衛の手段のひとつなのですが・・・そうやって周囲からの賞賛を素直に受け取れないなんて、猜疑心が全くない方からすればとても可哀想に思えます。

いつも余裕がない

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気持ちの面でも行動の面でも、常に余裕がないように見える人というのは決まって猜疑心が強いことが多く、それが顕著な特徴となっている場合が多いようです。

とても仕事が忙しい人、性格なのかせかせかしている人、悩み事が非常に多い人などがまさしくそれで、誰がどう見ても余裕がないように見えてしまいますし、実際そうなのではないでしょうか?

その他、何もしなくてもテンパってる人とか、何かを頼むと途端に焦り出す、またいっぱいいっぱいになる人もそうで、そこには少なくともゆとりなんてほんの少しもないことがよく分かると思います。

ではどうしてそのような人が猜疑心が強いかですが、まず余裕がない人というのは「焦っている」、または「急いでいる」という意味にもなり、今は自分で手一杯であることが傍目からでも伺えます。

今は自分で手一杯ということは、他事に気が回らないとか受け入れられないなど、自分以外のことに対しての器が小さくなっているのです。

器が小さくなっているので人を気遣えない、配慮できないというネガティブな感情が現れる、そして自分の中でその相手を信じるためのパーツを見つけ出せないのです。

信じるに値するパーツを見つけられないため、相手を信じ切るには不十分と無意識に思ってしまうために、結果猜疑心という形で現れてしまうのだと思われます。

さらに、そんな余裕がない状態ですから考え方自体もネガティブ傾向となり、頭に思い浮かぶのは嫌なことばかり、否定的なことばかり、だから他人にも猜疑心という形でそれを向けてしまうのです。

逆に余裕がある人であれば、気持ちにも十分な空きスペースがあるために、他人を受け入れる許容範囲が猜疑心の強い人とは、比べものにならないほど広いと言えます。

だから人を気遣うことも配慮もできて、そしてその余裕により相手を信じるためのパーツも探すことができますので、猜疑心など微塵も生まれません。

要はこの場合の猜疑心の強い人というのは、自分に余裕がないがために相手に対して適正な評価を下せない、だから「疑わしきは罰する」じゃありませんがパーツが足りないので猜疑心となるのです。

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