もう一度だけ会いたい!
あなたにもう一度会いたいなど、誰かの人生を左右させるぐらい影響力を持つ人間になりたいという想いを心の奥底に抱いている人も少なくないでしょう。
他人から「もう一度会いたい」と思われることは、それはつまり人間として魅力があり周りから必要とされる貴重な人間であるといえます。
本当は誰もがそんな人間になりたいと願い、誰もが他人から必要とされる人間になりたいと思っているのではないでしょうか。
承認欲求を満たす行動
会いたいもともと「承認欲求」という感情が誰しも備わっていて、これは他人から「認められたい」「必要とされたい」と感じる欲求のことであり、人間の行動のほとんどはこの承認欲求を満たすための行動でもあるといわれています。
他人から「もう一度会いたい」と思われるということは、それはいわば「他人から必要とされている」ともとらえられ、「もう一度会いたいと思われる人間になりたい」と思っているということは「他人から必要とされたいと思っている」とも考えられるわけです。
つまり、他人から「尊敬されたい」「影響を与える存在になりたい」と思うことは、自分の承認欲求を満たすための行動であるといえ、それは人間にもともと備わっている本能的なものだということです。
ですので、基本的には「もう一度会いたいと思われたい」と思うことは人間の本能的には非常に合理的であり、承認欲求を満たすために他人から尊敬される人間を目指すというのも向上心が強く、とても魅力的な考えだといえるでしょう。
他人から必要とされる人
他人からもう一度会いたいと思われることが自分の中の承認欲求を満たすとはいえ、現実ではなかなかそう簡単に他人から「もう一度会いたいな」などと思われることはありません。
理由は簡単であり、みんな自分のことで精一杯だからなんです。
人間の行動の大半が承認欲求を満たすための行動だとすれば、それは自分だけでなく「もう一度会いたいと思われたい」と思っているその他人も、誰かから「もう一度会いたいと思われたい」と思っていることになります。
つまり、誰もが自分の承認欲求を満たすために必死であり、誰も他人の承認欲求を満たしてあげたいとは思っていないのが現実なのです。
そのため、たとえどれだけ自分が他人から必要とされたいと願っていたとしても、その他人も誰かから必要とされたいと願っているため、どちらの承認欲求も満たされることなく二人とも孤独感に襲われることになります。
他人から必要とされたりもう一度会いたいと思われる人というのは、そういう風に思われるだけの理由があり、それだけの人間性を持っているものです。
ただ承認欲求に従って満たすためだけに行動していたところで、他人から「もう一度会いたいな」と思われる人になることはできないでしょう。
誰もがオンリーワン
他人から「もう一度会いたい」と思われる人になることも大事なことですが、人はもともと全員がオンリーワンな存在であることは忘れてはいけません。
ぶっちゃけ話、誰かに認められなくたって尊敬されなくたっていいんですよ。
ありのままの自分で過ごし、自分が胸を張れる自分でいられるのであればそれだけで人生は大成功だといえるでしょう。
承認欲求というのも満たせれば大きな充実感などを得ることはできますが、それは必ずしも満たさなければいけないわけでもありません。
承認欲求なんで他の三大欲求に比べれば屁みたいなものなので、それよりも自分が自分に満足できるかの方がよっぽど大切なことだといえます。
しかし、だからといって誰からも必要とされずに1人で孤独に生きていけばいいというわけではなく、たとえ承認欲求を満たせなくても人間関係を大事にして生きていくことは人生においても必須です。
人は一人では生きていけませんし、ずっと一人で過ごす孤独に勝てるほど強い生き物でもありません。
ですので、大切なのは承認欲求に振り回されないでいつでも「自分」を指針に人生を生きるべきであり、他人に承認欲求を満たしてもらおうとしても必ず思い通りになどいきません。
常に自分に自信を持って生き、自分で自分を満たしながら生きていく。それがもっとも大事なことであり、そういった生き方をしている人こそ他人からもう一度会いたいと思われるような人なのではないでしょうか。
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