十七文字に託す恋
私が図書館を巡っていた時、ふと目についたのが「京都の恋」という淡白だけれど猛烈な印象を残すタイトルの背表紙でした。
私は近頃、俳句を学びたいと思っていつも図書館の俳句などのコーナーをうろつくのが常。
そろそろ本のタイトルを覚えてきた頃でしたが、その書籍を見たのは初めてでした。
私は吸い込まれるようにしてその本へと手を伸ばし、中を開きました。
やさしくいざなう恋の歌に私がそうであったように、ときにうっとりとしたり、ときに心をぎゅっと握られるような切なさを感じたり、してみませんか。
俳句は文字数が少ないために、解釈する側の感受性が試されます。
本書に解釈がなかったのは、その感受性に委ねたためではないでしょうか。
自分なりの解釈でぜひ読んでみてください。
今日はゆっくりと、恋の歌に感情を沈めてみましょう。ご案内いたします。
一、落椿踏んで式部の恋のあと
紫式部といえば平安時代、「源氏物語」を書いた女性作家ですね。
百人一首にも「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」という句が含まれています。
不思議なものですよね、紫式部は正式にいつ生まれいつ亡くなったかわかっていないそうですが(諸説があります)、それでも生まれは西暦970年ごろであり、現在が2015年ですから気の遠くなるほど昔のことです。
源氏物語をお読みになったことはありますか。
長いのでもし時間があれば読んでみてください。
当然時代による内容もありますが、その中でもこうも不変のものがあるかと感嘆することでしょう。
二、貸し傘の花びら付けて戻りけり
貸し傘というのはきっと誰かに貸した傘のことでしょう。
それに花びら(桜の花弁でしょうか…?)がついた姿で戻ってきたのだということです。
解釈が広がりますね。
少なくとも私の解釈では悲しい歌とも、幸せな歌ともとらえることができますけれど、幸せな歌であると思ったほうがいいのでしょう。
俳句は深読みしたり、逆にこう考えたほうが自分の心ばえが良くなるからこう読もうと考えたりと、楽しみ方がたくさんあるのが私にとって好きな理由でもあったりします。
三、花ひとひらふたひら君を忘れない
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