常にまわりを見渡してみてください。
楽しくなさそうな表情をしている人はいませんか。
苦しい時期に入っている人はいませんか。
拡大解釈をして現代らしい言い方にすると、ADHDなどの障害のために仕事を効率よく運ぶことが出来ない人もいるかもしれない。
という可能性を肯定したまま、広い視野を持ってそういう人を見つけたら、きちんと気にかけ手伝ってやろうということなのでしょう。
私は、障害かどうかというよりも、その人自身をどう捉えるかが大事だと思っているので(かといってそれを「個性である」というのは私は間違っていると思います。「個性」を病院で治療しはしませんよね。適切な処置を受ければADHDは改善されます。「個性」という扱いにしてしまっては適切な処置から遠のく場合があるからです。)極端な例だと思ってしまいますが、其のほうがわかりやすいだろうと思ってこう書きました。
もっと単純な一言でまとめると「きちんと人を見なさい」
ということでしょう。
一、誰に対しても無作法はするな
【武田信繁家訓】武田信繁
誰に対しても、少しも無作法なことをしてはならない。僧侶、子ども、女性、貧しい者、老いた者にはさらにていねいにせよ
世の中には「理屈で整理整頓できないものは納得できない」という人が多くいます。
だったらどうして、負の数×負の数が正の数になるのか、空気の抜けた風船の滞空する高度が何により決まるのか、それをはっきり理路整然と説明できてから目の前で繰り広げられる数式や、空中の妙なところで停滞している風船を見ないと気がすまないはずですよね。
大胆な言い方をすれば「理屈で整理整頓できないものは納得できない」というのは概して全て言い訳だ、というのが私の考えです。
他人に対して無作法な振る舞いをしてはならない、立場の弱いものにも礼儀を尽くせ、というのを理由をつけてひとつずつ説明するのは簡単ですし、幾通りも出てくるでしょう。
しかし、その理由一つひとつが、行動指針として足る必要性を持っているか、さらに吟味しなくてはなりません。
そして、必要性に欠けるから無礼を働いてもいい、という無茶な理屈が通るようになってしまうでしょう。
そうではなく、単純に【理屈抜きにそうしなくてはならないことがある】
ということだけわかれば良い話ではないでしょうか。
いかがでしたか。
今回ご紹介できなかったものは次の後編でお伝えいたしますので、
もしご興味とお時間があれば、ぜひ♩
参考書籍:大人の教科書「道徳の時間」――大人の教科書編纂委員会
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