土星環の概要
土星環とは、中指の下に現れる「中指の付け根を覆う半円」を指すのですが、環の名を冠する手相の中でも比較的珍しいもので、そうそう現れることはないとされています。
それもその筈で、土星環がある人というのは一般的な人と比べてとても個性的だと言われており、実際土星環はそれを示している、その力があるとされているのです。
個性的と言ってしまうと何となく悪い印象を受けてしまいますが、何も悪い意味じゃありません。天才と言われる人はとても個性的ですし、そういう人は決まってある種の分野で力を発揮されているのがお決まりです。
さらにこのように言ってしまうのは何ですが、個性的というのがあまり印象良くないとしても、没個性よりは遙かに良い印象があると思うのです。
なおこの土星環を持つ人は、天才肌であるためか極めてひとつの事に対する拘りが強い、また孤独を好むとか独特な自分の世界があるとされています。
ただ、上記の「個性的は印象が悪い」の要因となっている部分である、一歩間違えればただの変人であることは拭えないところがあり、そこは意識して注意しなければなりません。
と言うことで今回、土星環について知るところを、そして土星環をどのように見ていき、どのように判断するかを記述していきますので、土星環を持つ人は是非参考にしてみて下さい。
二重または多重の土星環
多くのサイトや、書籍等で説明している手相の意味というのは、基本それが1本であったり重なっていない単独のものを指しており、それがその手相の基本の意味のようです。
では二重だったり多重だったりする場合はどうなるのかと言うと、手相占いにおいてこれらは重なった分だけ、それらの意味を「倍掛け」するという概念があるのです。
土星環もその例に漏れず、もしそれが二重であるのなら土星環の意味は倍掛けとなり、強化または上位互換となることがほとんどになるようです。
ではもっと具体的にですが、二重の土星環の場合は冒頭でご説明した土星環の意味とか、その他傾向等が1本のものよりもかなり強くなると考えて良いでしょう。
その他、感性がさらに鋭くなるとかひとつの事への拘りがさらに強くなるなど、土星環を持つ人の能力がさらに磨かれる結果になるパターンが多いようです。
ただ、その独創的な世界観とか感覚、思考なども倍掛けされるために、その過剰な奇抜さにただでさえ付いて行けない周囲が、さらに付いていけなくなることも。
もし二重でなく多重であれば…もはや、その人を理解出来る人がいない可能性もあり、理解を求めてもどうしようもないと、自分で結論付けてしまうかもしれません。
ただそこまで突き抜けている場合、能力自体は極めて高く、むしろ周囲から人気を集めてしまうことも少なくないようです。
上記のとおりそもそもの能力やスペックは高い、または高くなる傾向があるのですから、「やる時はやる人間」というような評価を受けても不自然ではないのです。
もっとも、このように言ってしまうのは二重の土星環を持つ人に失礼なのですが、そこまで突き抜けてしまうと一般的な人の目から見ると、どう考えても変人の域です。
もしそこが気になるのであれば、能力やスペックだけを前面に出して、明らかに周囲が受け入れられない性状に関しては、可能な限り目立たないよう立ち回りましょう。
まあ、とは言っても「そういうところ」が土星環、特にそれが二重である人の魅力にもなるのですが、どうしてもマイノリティ感が拭えません。
あくまで自分を貫き通すか、それとも能力等だけは残して群衆に溶け込むかは、結局そんな土星環を持つ人自身の判断になるかと思われます。
自分らしさがなくなるから嫌だと思うのであれば、またそんな周囲の評価など全く気にならないのであれば、そのまま変人でいても何ら差し支えはないでしょう。
もっともこの手相を持つ人は、大半の人が我が道を行く人ばかりですので、気にしていない人が大多数となるのが大前提となるのですが…。
途切れ途切れの土星環
通常、その手相の途中で線が切れてしまっていたり、途切れ途切れとなってしまっている場合は、その手相の恩恵を十分に授かれないというのが定説です。
しかし土星環の場合は少し違っていて、たしかにこの場合の手相でも土星環としての力はあるようなのですが、いささか安定に欠けると考えられるのです。
ではその土星環における安定が何なのかと言うと、まず土星環を持つ人があまり周囲に理解されない感覚を持っているのは、これまでのとおりです。
ただしその感覚、まず本来の土星環であればそのマイノリティさも気にしない、周囲の目も気にしないと言った、我が道を行くを実践されることでしょう。
ですが途切れ途切れの場合は、案外それらが気になってしまうようで、その土星環を持つ人らしい感覚を貫き通せなくなる、ブレてしまうことがあるようなのです。
簡単な例えをするなら、まず周囲があまり賛同しない意見を自分が持っていて、自分はその意見を貫き通す、それが正しいと信じているとします。
通常の土星環を持つ人であれば、おそらく誰に何を言われたところでそれが正しい、それを信じてどこまでも突き進むと考えるものと思われます。
ですが途切れ途切れの土星環を持つ人の場合、最初こそそのように思っていたものの、周囲の意見とか説得などでその考えが覆ってしまうことがあるのです。
つまり、人とは違う資質があるものの今ひとつ常識人、人の枠内に収まらなさそうで収まってしまう人が、この手相を持つ人の傾向だと言えます。
言い回しがネガティブですが、これは考えようですね。
人の枠内に収まらなさそうで収まると言うことは、少なくとも考え方は一般的な範疇にある訳で、前項のような変人の域ではないと言えるのではないでしょうか?
だから土星環を持つ人でありながら、人付き合いとかはむしろ得意で、そんな周囲から避けられてしまうような性状は垣間見られないことがほとんどです。
これを良しとするか、土星環の良さを失っていると捉えるかは、途切れ途切れの土星環を持つ人次第なところがあり、そこは土星環のない人が決められることではありません。
社会は群衆に溶け込む、個性を取り払うことを強要しますので、一般的な社会に組み込まれるのを想定しているのなら、そのまま土星環が途切れ途切れでも問題はないでしょう。
ただ、せっかく独特な感覚、人が思い付かないような考え方をしているのに、それをひた隠しにして一般という無個性に埋もれてしまうのも、何となく勿体ない気がします。
何を良しとするかはその人次第であるのは当たり前ですが、願わくばその個性を出しつつ上手く社会で立ち回れるように、土星環の良さを昇華していただきたいものです。
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