人がよすぎるということ
常識的な範囲で人がいいとなると、適度な柔軟さと適度な堅さを兼ね備えている為、多くは生きるに当たり支障はない、問題なく人生を謳歌出来るでしょう。
その性格により人当たりがいいので、いつも周囲は人で溢れて笑顔が絶えない…それでいて最低限の警戒心はあるので、陥れられることも可能性的には低いと言えます。
問題は人がよすぎる場合で、他人を思いやり過ぎて、あまりに警戒心がなさ過ぎて、あまりに信用を寄せ過ぎたあまり、痛い目に遭うことが少なくないのです。
もっともそれで学習して、人がよすぎるという状態から適度に人がいいくらいに落ち着けばいいのですが、筋金入りに人がよすぎると再び同じ轍を踏んでしまうようです。
では、人がよすぎる場合の具体的な不利益、デメリットとは何なのでしょうか?
今回はそれをご紹介させていただきますので、人がよすぎると一度でも言われたことのある人は、自己診断の為に以降を確認してみて下さい。
中には取り返しの付かないものもあり、場合によっては人生の転落に繋がりますので、人がいいのもほどほどにしておきましょう。
それで人を信じられなくなるのは寂しい話なのですが、この世界は悪意を持って人に接する者が少なくないので、適度な警戒心は最低限持ち合わせなければならないのです。
人間不信にまでなれとは言いませんが、せめて初見の相手に対してくらいは警戒心を、また疑わしき相手に対しては一定の距離を保つようにして下さい。
簡単に騙される
簡単に騙される人がよすぎるということは、すなわち人の言うことを鵜呑みにするとか、人をすぐに信じてしまうなど、そういう意味にも繋がることはお分かりいただけると思います。
別に、そうであったところで悪いことではありませんし、人に対して疑念を全く抱こうとしないその姿勢は、本当に心が綺麗なのだと思いますし賞賛に値すると言ってもいいでしょう。
ですが世の中良い人ばかり…と言うより、どちらかと言うと悪意に満ち溢れていて、そういう人を騙そうとして近づいてくる輩もかなり多いことが懸念されるのです。
何せ人がよすぎるのです。
人に対して疑念を抱かないことから、見知らぬ他人が近づいたところで簡単に騙せますし、知り合いでも悪意を持っている者であれば、言葉巧みに利用してくる可能性も決してないとは言えません。
そしてさらには、一度騙されたくらいではある意味へこたれていない、人を信じることを止めない場合もあるようで、そうなるともはや救いようがありません。
何度も言いますが、人を信じることが悪いことではない、むしろ良いことではあるのですが、それはケースバイケースであることを覚えておかなくてはなりません。
ですので、多少は人に対して警戒心や疑念を持つようにするとか、知り合い間でもお金の貸し借りなどの、関係を破綻させる恐れのある何かには応じないなどの姿勢が求められます。
それだけで「人がよすぎる」から「人がいい」程度にはなれる筈ですので、あまりにお人好しなのはバカを見るくらいに思って、自分を改変した方が良さそうです。
ここまで言ってもまだ人がよすぎるままであるのなら、一度騙されてみて人の悪意というのを身を持って知る、また世の中が悪意で満ちていることを理解しましょう。
人の話を鵜呑みにする
何も人がよすぎることは、騙される等の直接的被害があるだけではなく、人間関係においても時に弊害となることもあるようで、そういった身近なところにも影響があることを理解しましょう。
と言うのも、まず人がよすぎる人が簡単に騙されるというのは先にあるとおりですが、騙す騙さないというものではなくても人の言葉を真に受けるなど、そういう資質が同時に備わっていることが少なくありません。
そしてこのような人は、言葉を発した人の言うことが正しいと判断してそのとおりに動く、またはそのとおりにしか動かない傾向もあり、つい思考停止してしまうことも少なくないようです。
だから職場や友人間などで、「たまには自分で考えろ」だなんて言われたり、「自分を持っていない」などの評価があったり、人がよすぎるという性質が仇になることもあるでしょう。
逆に、ワンマンな上司だったり何もかもを一人で決めてしまうタイプの人とは合うようで、それは自分自身が能動的に動かなくてもいいからという背景があるからだと言えます。
ワンマンだったり独断を好む人であれば、決断や判断などは全てその人がやってしまいますので、人がよすぎる受動的な人というのは、何も考える必要がないのです。
ただ決められたことに対して命令やお願い事を受けるだけ、言葉をそっくりそのまま受け止めるだけで済みますので、生きていくことがとても簡単になるのです。
言う側はそのまま行動してくれる、言われる側の人がよすぎる人はその言葉を信じ切っている…客観的に見ると歪ですが、こういう関係であれば上手くいくと言えるでしょう。
まあそういう人が、過労などで倒れてしまってそのまま…という事件を起こしてしまうのですが、そうなりたくなければ何をするかは明白と言えますよね?
駆け引きが出来ない
基本的に人がよすぎるという性質は、素直だったり正直な性質も併せ持つことが多いので、他人に対して駆け引きを臨んだり等、ネゴシエートなどが非常に苦手なのがお決まりです。
素直、正直なのですから、自分の不利になることはすぐに言葉に出たり顔に出たり、そして相手の不利をそもそも望まないなど…この時点で、駆け引きや交渉は不可能なのです。
おそらくいざ駆け引きをやろうとしても、その素直さや正直さにより目論見がすぐにバレてしまいますし、交渉においても自分有利に会話を運べないなどの致命的な状態に陥ることでしょう。
まあこれについても別に悪いことではありませんし、むしろそのまま素直で正直な性質であってほしいと願いたいところ…なのですが、社会はそうさせてくれませんよね?
いくら資質がなくても駆け引きや交渉の技術は求められる訳で、そしてそれが出来なければ無能、役立たずの烙印を押されてドロップアウトさせられてしまう…理不尽な世の中です。
この事から、やはり素直だったり正直な人がよすぎるという性質は、ある程度のところに留めておく、「過ぎる」ことの意味のなさをしっかりと理解しなければなりません。
ただ、これについては人がよすぎるという資質を改変したところで、直ちに駆け引きが上手くなったり交渉を有利に運ぶなんて、とてもじゃありませんが出来ません。
これらは経験が必要であり、その経験すべき期間に人がよすぎる為に空白となってしまっているので、また一から自分自身を教育していかなければならないのです。
ですので、いっそのこと「そういうことは苦手」とし、別の世界に身を投じる…すなわち駆け引きや交渉などが必要のないところで、新たな人生を頑張るのも一考の余地があると言えるでしょう。
別にこの世の中、皆が駆け引き上手、交渉上手という訳ではありませんので、そこは向いていないと判断するのは、誰にも責められないことなのです。
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