ギャグ調にしてみる
何かの冗談かのように思えるかもしれませんが、実は愚痴る際には意外と重要、そして相手の受けるストレスを限りなく軽減してくれるという、優れものと言える方法となります。
まあ簡潔に言うなれば、「愚痴を面白おかしく言う」と言ったところでしょうか。
愚痴るときというのは、つい暗く沈んでしまったり怒りを露わにしたりが多いので、そういう負の感情を受けた側というのがとても疲れてしまうのです。
あなたも怒られたり泣かれたりなどをされると、後で何となく疲れたような感覚になると思いますが、まさにそれが当てはまる訳です。
その点、愚痴のはずなのに内容が面白い、ギャグなどもてんこもりで聞く相手を爆笑の渦に巻き込んでしまえば、そこには負の感情なんて一切生まれません。
愚痴自体が負の感情によるものなのかもしれませんが、それを昇華して笑い話にしてしまえるのなら、それは聞く側にとっては何ら負担にならないものになるのです。
センスによってはかなり面白い話になる可能性もあり、その際はむしろ愚痴歓迎、もっと聞きたいと思われるレベルとなるかもしれませんので、そうなれば愚痴で失敗することはまずありません。
ただしこれ、先にセンスという文言がありましたが、実際かなりセンスが問われるものですので、人によってはそもそもやってみること自体が困難な場合もあるでしょう。
その際は、別に笑い話でなくてもいいのでせめて明るくするなど、ダークな感じを相手に与えない工夫をするという観点が必要になります。
それも難しいのかもしれませんが、最悪表情を明るく、声のトーンははっきりなど、基本的な「明るい人の基本」を踏襲すれば何とかなるものと考えられます。
人を陥れない
これは先に記述した「悪者を作らない」に似通っていますが、それよりももっと個人に対して直接的なものとなります。
と言うのも、愚痴というのはその性質上悪者が居るのは先にあるとおりで、どうしても愚痴る際に悪者を作って話してしまいがちとなります。
もっとも、悪者というだけであればその会話内容にどうしても必要だったりで、ときに外せないこともありますのである程度許容されるところがあるでしょう。
しかし悪口に留まらず、あることないことを吹聴したり陥れるような発言をしたりなどは、ただただ聞く側からするとどん引きとなるのです。
その理由ですが、まずそういうあることないことを吹聴してしまうと、その対象の評価が悪いものとなってしまう、ネガティブなものとなってしまうのは言うまでもありません。
となると、そこが職場であればやりづらくなるのが予想出来、職場でなくても周囲から避けられてしまう可能性も生まれてしまうことになります。
愚痴る本人は、それが愚痴ることになった原因の人であるためにむしろすっきり、溜飲が下がるのかもしれませんが、人としてどうなのかという疑念を愚痴る相手に抱かせてしまうのです。
それは結果的に自分の評価に影響してくる…つまり因果応報で、しかも周囲に「人を陥れる人」という最低の評価を受けることになるでしょう。
加えて、その陥れる内容によっては名誉棄損となる可能性もあり、その際は訴訟問題にまで発展するかもしれませんので、発言には十分注意しなければなりません。
名誉棄損となれば、もはや今の場所に身を置くことすら困難になりますので、社会的立場を失いたくなければしっかりとその辺りは慎重にすべきです。
「仕方ない」感を出す
愚痴ることがネガティブであるのは、恨みつらみとか怨念めいた内容は延々とくどくど、終わりがないかのようにつらつらと発言することが多いからだと言えます。
つまりは、聞いている側もストレスが溜まる、すっきりしない、後味が悪い訳です。
内容が内容ですし、どうしても場の空気がネガティブになるのは仕方ないのですが、あまりそれが過度になるのも考え物となるでしょう。
しかしそれは、愚痴る側次第でどうにでもなるところがあり、それは「笑い話」の件でご理解いただけているかと思います。
しかし笑い話にまで昇華するのは難しい…となれば、話てすっきりした、仕方がない、ありがとう的な、ポジティブな雰囲気に持っていきましょう。
内容こそネガティブではありますが、言った後は晴れやかであるという印象を相手に与えることで、会話の後味をよくする訳です。
これでお互いすっきり出来ますし、聞く側もきちんとその辺りを配慮してくれたと感じると思いますので、人物的な評価に悪い影響を及ぼすことはないでしょう。
話した後にも関わらずいつまでも陰鬱な雰囲気を示しているのは、聞く側が「自分に話して意味あったのかな?」と無力感を抱かせてしまいますので、そうならないように配慮です。
ただ、一方的にすっきりしたとか仕方がないと話を切り上げるのは自分勝手ですので、きちんと相手の動向を見てそれが許されるかの判別行うようにして下さい。
愚痴り始めて勝手に切り上げるのは無礼でしかなく、それは人としての最低限のモラル、マナーなのです。
愚痴るだけでそこまで考えなければならないのと思うかもしれませんが、逆にそこまで考えられない人物が他人に愚痴を言うべきではない…そう考えて然るべきです。
まとめ
愚痴というのは、ズバリ「自分の言いたいこと」です。
それ以上それ以下でもなく、ただただ自分の思いをぶちまけたいだけなのが、愚痴るという行動なのです。
だから基本的には一方的であり、聞く相手は受け身でしかありません。
ここで察しのいい人はお分かりいただけると思いますが、そこで気遣いとか思いやりを持てなければ、冒頭にあるような距離を置かれる等が起こってしまうでしょう。
何故なら気遣いや思いやり、配慮が出来ない人物というのは、自己中だとかわがままなどの評価に繋がってしまい、そういう人物を避けるのが人の自然な考えだからです。
つまりは、愚痴るにしてもきちんと気遣いをして愚痴れということですね。
愚痴はその性質上、どうしてもネガティブな意味となってしまいますので、聞かされる相手に対して強い負担となることが少なくないのです。
それによりストレスを与えてしまったり不快な気持ちにさせてしまったりなどがありますので、自分勝手に言いたいことだけを言っているだけではいけないのです。
だから今回の内容をしっかりと踏襲して、愚痴を聞かされる相手のストレスとか不快な気持ちを軽減、またはなくすくらいの気持ちで、きちんと配慮するようにして下さい。
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