LGBTsという言葉が世の中に浸透しつつある現代においても、セクシャルマイノリティを抱えて悩んでいる人は多くいます。
そんなセクシャルマイノリティのひとつである、「アセクシャル」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
今回は、自分がアセクシャルである可能性を感じている女性や、身近な人がアセクシャルである可能性を考えて悩んでいる女性に対して、アセクシャルについての情報を紹介します。
アセクシャルの定義とは?
アセクシャル(アセクシシュアル・エイセクシャル)とは、【sexual】に打消しの意味の【a】をつけた言葉です。 つまり「誰に対しても性的欲求を持たないセクシュアリティ」のことを指します。
宗教的な理由など、意図的に性的欲求を抱かないように努力しているわけではなく、生来そういった欲求が湧かない人を指します。
アセクシャルには恋愛感情がない?
アセクシャルは、英語表記をみるとわかるように、厳密には「性的欲求を抱かない人」を指します。 正確にいうと、性的欲求に加えて恋愛感情も持たないのは「アロマンティック・アセクシャル」と言います。
ただし、日本語圏における一般的な使われ方としては、「アセクシャル」という言葉だけで「性的欲求も恋愛感情も持たない人」として用いられているのが現状です。
そのためアセクシャルの中でも、性的欲求のみを持たない場合もあれば、恋愛感情のみを持たない場合もあり、とらえ方には幅があります。
ノンセクシャル・アロマンティックとの違い
アセクシャルと混同されやすい言葉に、「ノンセクシャル」や「アロマンティック」があります。
「ノンセクシャル」は日本独自の表現で、「性的欲求がないセクシャリティ」を指します。 これは日本において、アセクシャルという言葉が「性的欲求と恋愛感情がどちらもないセクシャリティ」という意味で使われているからこそ、必要になった言葉といえるでしょう。
いっぽう、「アロマンティック」は「恋愛感情がないセクシャリティ」だけを指す言葉です。 いわゆる「ムラムラする」というような性的欲求は持っているものの、恋愛独特のときめきなどは感じない人ということです。
アセクシャルへの誤解
アセクシャルが受けやすい誤解として、「冷たい人」だと周りから思われてしまうということがあります。
性的欲求や恋愛感情がないだけで、愛情も友情もあるにもかかわらず、アセクシャルというだけでそれらを持ち合わせていない人だと思われてしまうのです。
さらにアセクシャルでもパートナーがいたり、結婚したりするケースもありますが、世の中ではまだそういったことを理解されにくい傾向があります。
アセクシャルであっても愛情も友情も持っているため、特定の親しい間柄になる人ができるのは何らおかしくないこと。 しかし、世間的にはアセクシャルとパートナーシップを結び付けて考えられない人も多いのです。
また、アセクシャルでも当然ながら美的センスは周りの人と何ら変わらないので、「かわいい・かっこいい」などもごくごく当たり前に感じます。 これは異性を好きになるセクシャリティの人が、「この俳優はイケメンだね」と言いつつも恋愛感情は持たないというのと同じようなものです。
アセクシャルの悩みとは
アセクシャルには、アセクシャル独自の悩みがあります。 同じセクシャルマイノリティでも、ゲイやレズビアンなど、一般的に認知されやすいセクシャリティとは少し違っているため、まだ世間では知識を持っていない人が多いのが実情です。
本人もなにか周りと違うと認識しつつも、アセクシャルであることを自覚していないケースもあり、人知れず悩んでいる人も多いのです。
おかしいと言われる
「男なのに性欲がないなんておかしいよ」「その年齢で人を好きになっていないなんておかしいよ」など、周りから「おかしい」と言われやすいのがアセクシャル。
実際のところセクシャリティにかかわらず、性欲が強くても弱くても人を好きになる経験が少なくても、おかしいということはないはずです。 しかし、世の中の常識を押し付けてくるひとが周りにいると、とても生きづらさを感じてしまいます。
そのため、おかしいといわれないように性や恋愛に興味があるふりをして周りに話を合わせたり、出会いの場に参加したりと無理をしてしまいがちです。
経験不足と言われる
「恋愛感情を抱けないのは、良い相手に巡り合っていないからだよ」「セックスに興味が持てないのは、セックスの経験が足りないからだよ」など、経験不足を指摘されることも、アセクシャルの悩みのひとつ。
実際のところ、本当に経験不足なだけの人もいるため、アセクシャルの人もその点は自覚するのに時間がかかり、判断がつきません。
そのためなおさら、「経験すれば変わるのかもしれない」と無理に経験を重ねることで、かえって周りとの違いを知り、苦しい思いをしてしまうこともあるのです。
他者に劣っている気がする
特にアセクシャルの男性に多いのが、性的欲求がないことや恋愛感情を持てないことで、他者に劣っている気がしてしまうというもの。
男性のなかには、どれだけモテるか、どれだけ経験してきたかを競いたがる人も少なくありません。 それが決していいことではないにせよ、本能的にそうしてしまうのも事実。 もちろん、女性にもそういったことをステータスとして掲げる人もいます。
モテることやセックスに魅力を感じないアセクシャルの人にとっては、そういった自慢やマウンティングにさらされることは、人一倍苦痛に感じてしまうのです。
パートナーの期待に応えられなくて苦しい
アセクシャルの人は、このようにアセクシャルである確信がないまま、「経験してみると変わるかも」とパートナーを持ち、交際したり結婚したりすることもあります。
愛情や友情はあるので、誰かとともに生きていくことには喜びを感じますし、心地いいと感じられるでしょう。
しかし、アセクシャルのパートナーとなる人が性的欲求も恋愛感情も持っていることで、アセクシャルの人とのかかわり方に困惑してしまうことも。
アセクシャルの人もそういったパートナーの期待を知っているからこそ、心から応えることができず、自分を責めてしまいやすいという傾向があります。
アセクシャルを自認するのは難しい?
アセクシャルはその性質上、自分でも確信を持つまでに時間がかかる傾向にあります。 実際、どのようにしてアセクシャルを自認していくのかには、いくつかのプロセスがあるのです。
ここでは、アセクシャルかそうでないかを自認するためのポイントを解説します。
特別な人は好きになる可能性がある
「自分はアセクシャルだ」と自認していても、実はそうでなかったというケースがあります。 これは、「デミセクシャル」である場合です。
デミセクシャルは特別な相手であれば、時間をかけて性的欲求も恋愛感情も持つことができるのです。 それこそ、たまたま「それまで本気で好きになれる人に巡り合えなかっただけ」ということなので、あとになってからセクシャリティの違いを知ることになります。
そういったこともあって、アセクシャルの人は自分をアセクシャルだと言い切ることにも抵抗が生まれるのです。
愛情か恋愛感情かの判断がつきにくい
これはアセクシャルに限らず、誰でも経験があることかもしれませんが、「愛情か恋愛感情かの区別がつきにくい」のもアセクシャルかどうか悩むポイントのひとつ。
親友のように親しくなってしまった人や、家族同然のように情が湧いた人などに関しては、「これはドキドキしないだけで恋愛感情なのではないか?」「性的欲求は湧かないけれど、好きなんじゃないか?」など、迷う部分が出てくるのです。
それでもアセクシャルでない人の場合は、性的欲求を抱く対象や恋愛感情を抱く対象がほかにも現れるのでわかりやすいのでしょう。 しかしアセクシャルの場合は、すべての人に対してそういった愛情を持つようなかたちになるので、なかなか判断しにくいといえます。
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