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「月が綺麗ですね」に秘められた意味と気の利いた返事

「月が綺麗ですね」に秘められた意味と気の利いた返事

恋活

「月が綺麗ですね」は告白の意味があるという逸話がここ数年、テレビドラマや映画で紹介されています。1970代から伝わるこの逸話が伝えたい本当の意味について詳しく解説します。

「月が綺麗ですね」という言葉には、”I love you”という告白の意味があるという逸話を聞いたことがありますか? この逸話は1977年に雑誌のエッセイで紹介されたもので、明治の文豪、夏目漱石を絡めることで拡散力が増したようです。

夏目漱石は37歳で作家デビューするまでは愛媛の高校や熊本の大学で英語の教師をしていました。 ある日授業中、生徒が”I love you”を「僕はそなたを愛しく思う」と訳したら、漱石は「日本人はそんな図々しいことを言わない。」と一喝しました。

漱石は生徒たちに日本における”I love you”の適訳は「月がとっても青いなあ」だと諭したというのです。 出処のはっきりしない逸話ですが、今にも繋がる日本文化の特徴や日本人の愛情表現の奥ゆかしさをよく表していますよね。

月が綺麗ですねとは告白の意味がある?

月を見る男女

「月が綺麗ですね」は”I love you”よりもずっと深く強い愛を伝えている言葉かもしれません。

漱石の逸話は1977年にSF雑誌『奇想天外』に掲載されたエッセイで最初に紹介されました。 豊田有恒が書いた「あなたもSF作家になれるわけではない」というタイトルのエッセイが漱石の逸話で伝えたかったことは、外国文学を日本語に翻訳する事の難しさです。

豊田はこの逸話で外国文学を訳すときは、直訳ではなく日本人に響く意訳をする必要があるということを伝えたかったようです。 その後、多くの文化人や知識人、ドラマ、映画で拡散されていく過程で”I love you”の適訳は「月がとっても青いなあ」から「月が綺麗ですね」や、「あなたと見る月はとても綺麗です」に変化していきました。

その後も雑誌の対談などで、漱石の逸話が語られ続けるのですが、翻訳の難しさと同時に日本人の恋愛観、日本人の愛情表現の奥ゆかしさを伝えるエピソードとしても使われています。 日本人は「愛している」「好き」などとストレートに言わずに、その場の雰囲気や表情や態度に表れる情感を察するものだといったニュアンスです。

実際、愛しているとか好きとかいう言葉、なんだか嘘っぽく感じてしまうこともありますよね。 本場の”I love you”もセックスしたいみたいな意味で使われてしまうときもあるでしょう? でも、「あなたと見る月はとても綺麗」という言葉からは、相手の秘められた思いや切ない気持ちが伝わってきませか。

多くの女性が本当に聞きたい男性の愛の告白の言葉は実は「アイラブユー」ではなくて、「アナタトミルツキハトテモキレイデス」なのかもしれません。

月が綺麗ですねと言われたときの定番の返し方

愛の告白

江戸時代が終わったのは1868年です。 夏目漱石は1867年、江戸時代の名家に生まれました。 江戸時代は「男女7歳にして席をおなじゅうせず」の儒学の一派の朱子学を主とした教育が授けられました。

漱石は明治時代に教育を受けた人なので、儒学や漢文そして外国語や外国思想を幅広く吸収しながら育っています。 そんな漱石の最も大きな功績は、面白くて分かりやすい小説を書き始めたということです。

漱石以前は文語体という書き言葉の小説が主流でしたが、漱石は口語体という話し言葉で小説を書きました。 このように、漱石は儒教の影響が色濃くのこる時代に新しい思想の影響を受けて、万人に伝わる分かりやすい表現を心がけた人です。

”I love you”を「月が綺麗ですね」と表現するのに、これほどふさわしい人はいないですよね。 美しく洗練されたバックヤードを持つ「月が綺麗ですね」という言葉に釣り合う、気の利いた返事としてはどんな言葉があるのでしょうか。

死んでもいいわ(Yesの場合)

「月が綺麗ですね」という愛の告白にふさわしい返事は「死んでもいいわ」というのが2017年ころからメディアで伝わっています。 「死んでもいいわ」が選ばれた理由は夏目漱石の逸話よりも入り組んだ内容なので、わかりやすく説明します。

漱石と同じ時代に生きた作家で二葉亭四迷という人がいます。 1864年に東京で生まれ、東京外大でロシア語を学び、いくつかのロシアの文学作品を日本語に翻訳した人です。 「死んでもいいわ」は二葉亭四迷がツルゲーネフの小説「片恋」を日本語に翻訳したときに実際に使った言葉で、逸話ではありません。 アーシャという女性が主人公の男性に愛を告白したときのセリフです。 女性は「Ваша」(英語の「Yours」)という言葉で愛を告白するのですが、二葉亭四迷は日本語訳するときに「あなたのもの」と直訳せずに「死んでもいいわ」と意訳しました。 ここでは「Ваша」も「死んでもいいわ」も”I love you”の意味で使われていて、実際に死んでもいいと考えているわけではないですよね。

1970年代になって、明治時代の外国文学の翻訳の難しさについて語られたときに、漱石の逸話と並んで二葉亭四迷の「死んでもいいわ」という妙訳が紹介され始めました。 その後、漱石は”I love you”を「月が綺麗ですね」と意訳し、二葉亭四迷は”I love you”を「死んでもいいわ」と意訳したと伝わっていきます。

「月が綺麗ですね」の気の利いた返事として「死んでもいいわ」が紹介され始めたのは2017年、ここ最近のことのようです。 英語で”I love you”と言われた場合、”I love you,too”と答えます。 同様に、”I love you”の意訳である「月が綺麗ですね」という愛の告白には、同時代の意訳として「死んでもいいわ」がふさわしいのではないか、といった理由で紹介されているようです。

まだ死にたくありません(Noの場合)

「月が綺麗ですね」という言葉で愛を告白されたときに、相手が好きでなかったら「まだ死にたくありません」と答えるのがNoの場合の定番の返事として紹介されています。 理由はきっと「月が綺麗ですね」という漱石の言葉に相応しい返事は二葉亭四迷の「死んでもいいわ」で、Noの場合は否定形の「まだ死にたくありません」だということなのでしょう。

ネットやメディアで拡散される言葉には深い意味を持つ言葉、味のある言葉が多く、興味深く感じます しかし、拡散されていく過程で意味が変化していったり、本来伝えたかったことではない形で伝わったりすることもあるようです。

「月が綺麗ですね」「死んでもいいわ」が当初伝えたかったことは、外国語を翻訳するときは直訳ではなく、その国の人の心に響く言葉をあてる必要があるということでした。 同時に、日本の土壌には「愛」とか「好き」とかは合わないので、ストレートに表現しないほうがいいですよという意味もあります。

もともと逸話なので、そこに相応しい返事をもってくるだけでもちょっぴり無理があるようです。 そして、その返事の否定形となると、さらにまた無理が重なり不自然な感じになってしまいます。

背景を知った上で言葉遊びとして、伝え合うのは楽しいかもしれませんが、これが正解!と誤解させてしまうのはまずいですよね。

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