これも、よくよく注意して読んでいただかなくてはならない文章だと思います。
先ほどと似ていますが…。
「お金がなくても愛さえあればいい」という、よくある議論ではありません。
文章だけみていると、そういう議論でよく「年収1000万円の相手と愛の無い結婚をするか、フリーターだけど愛のある相手と結婚するか」というようなことが言われますが、そういうものと字面、というかモノの関係性が似ているから、つい同じに見えてしまいますね。
この文章でも、そういう議論でも、「お金の金額の高低」と「愛情の有無」(この文章だけで見れば美味しいと感じられる幸福の有無とでもいうのでしょうか)を引き合いに出しているからです。
ですが、本当のところは違う。
まず、私が言いたいのは、世の中のそういう単純化した議論に対して、善人らしい回答を探さないで欲しいということ。
私がもし「年収1000万円の相手と愛の無い結婚をするか、フリーターだけど愛のある相手と結婚するか」と聞かれたら、「愚にもつかん単純二極化をやってるんじゃない」と思います。
なんで、全部持っている人間はいないと思うのかとか、お金を持っている人は愛を持っていないとでも言うのかとか。
そういう極端な例が、あなたの周りで頻発しているなら文句はないが、実際どうなのかと。
そういう極端な話をふっかけて、場を盛り上げる人もいるかもしれませんが、そういう議論はさっさと打ち切って、まずは人の持っているものをステータスという記号で見分けないよう、訓練でもしなさいと言ってあげるのがいいかと思います。
そういう意味で、第一章の5節「値踏みをする人は値踏みされる」という言葉を読み返すとわかりやすいのではないでしょうか。
とはいえ、この言葉も厄介です。
「値踏みされたくないから、値踏みしないでおこう」というのじゃ、どことなく本末転倒な気がする。
そもそも「値踏み」という言葉がもつイメージのせいですが、「値踏み」というとその記号化されたステータスを採点していくような感じがする。
私はそもそも、恋をするときに、ごちゃごちゃその人のことを記号化してみるようであれば、それは恋ではないと思います。
つぎへ参りましょう♪
※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。