私は、デートのときにお財布に千円しか入れてこない男性が相手だったら、そのうちのいくらを使おうが、そもそも「私を大事にしてくれてる」とは思わないですね。
だから一緒にはいないだろうと思う。
私なら、お金をちゃんと稼げる人は、例外はあれど、それなりに周りから評価されてのその立場・収入だろうし、自分の判断はさておき、社会的に認められている人だと思います。
だから、まず社会的な安心はある。
それが愛に関係するかどうかは、全く別次元の問題だと思うんですよね。
だって自分が愛した人が、周りからも認められる人だったら嬉しいですよね。
彼の膝にあぐらかいてお金使っちゃえるから、年収が高いのが嬉しい、なんて曲折した喜びを感じている人がいるなら、やっぱりその彼と一緒にいたいという感情が愛なのかどうかを疑ったほうがいいと思うんです。
別に一緒にいる理由が「愛」だけであるべきとも、思っていません。
昔は、相手も周りから決められて、結婚してそれから家庭の中で愛を育んでいったんです。
別に昔がそうだったから、今もそうしろという議論ではないんです。
愛の出発地点がどこであれ、いつであれ、周りから見てそれが偽物だとか本物だとかは言えないんだろうな、という話なんです。
もちろん人間の感情には、おおよそのロジックがあります。
お財布に千円しかないのに五百円を使ってくれた男性は、自分が千円しか持っていなかったときに、それでも彼女は一緒にいてくれたと思う。裏を返せば、男性にとっては財布の中の百万円の半分、五十万円使ったと同じ価値が有るわけです。
だから、こういうロジックだけなぞった端的な話をするなら、それなりに読み手を納得させられると思うんです。
でも、そうじゃない。
きっと、千円が百万円になるまでの人生の時間を、どういうふうにその男女が過ごしてきたのかが大事なんです。
愛なんてのは、当人たちにしかわからないものですよね。
単純に「お金よりも愛!」という主張であれば、どんな偽善者にもできます。
でも、そうじゃない。
お金の価値も知った、愛の意味も知った、その上でどう優先順位をつけるか、二人の関係をどういう言葉で表すか。
こういうことも、頭の隅っこででいいから、考えてみて欲しいかもしれない、と読みながら思いました。
お読みいただくとわかるかもしれませんが、私の中では実はあまり「こういう女が愛される!」という女性像はないのです。
出会った二人に合致した形であれば、それでいいと思う。
私もたくさんKOIMEMOで記事を書かせてもらっていますが、それもあくまで私という主観の中で「こういう人がいたら男性にとっては気持ちが良いだろう」「私はこうやってしたいと思う」ということを書いているまでで。
だから次の記事で詳しく書きますが、とにかく書いてあることは、まず"自分なりに"消化していただけたらと思います。
※次の記事、後日公開致します!暫くお待ちください^^
※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。