これも私の経験からの話で恐縮なのですが、どれほど心の底から生んだ言葉を投げかけても伝わらない人はいます。
もともと私は性善説を信じて生きてきたので、このことに気付くのが遅かったのでしょう。
もしくは周りの人が理解のある人間ばかりだったか、はたまた理解されていないことにすら気付けなかったのか。
どちらにしろ、いくら言葉を尽くしても伝わらない相手に言葉を投げかけることほど徒労に終わったときに虚しさを感じることはありません。
もちろん「絶対に伝わるんだ」と信じる思いを貫くことを選ぶ人もいるでしょう。
しかし、いまの私にはそれがどれだけ価値あることなのかまだわかっていないのでしょう。
もしくは本当に価値が無いのかもしれません。
自分に与えられた時間もお金も有限で、気力にも体力にも限界がある。
一定以上の努力しても伝わらなければ、もっと伝わりやすい人に伝え続ける努力をしたほうが良いような気がするのです。
#5 しゃべらないことが怖いと思わないこと
そして最後に。
#3でも少し触れましたが、自分がしゃべらないという状態にもっと慣れるべきです。
私はしゃべりすぎだと思ったら、自分から口をつぐむようにしています。
そうでないと、自分の不安をかき消すためにひたすらしゃべりつづけてしまうから。
他人は意外と鈍感で、少しくらいしゃべらなくても気づかないものです。
もしくは「今日どうしたの?」くらいは声をかけてきますが、「別になにもないよ」と言えばいいだけのこと。
他人に不信感を持たれるかなとか、空気よめないやつだと思われるかなという心配は不要なのです。
どうせ自分がしゃべらなければほかの誰かがしゃべり役を請け負うのです。
そうでもなくて静まり返るような人たちならば、いまさら誰が盛り上げ役に徹していたか気付くはず。
それでいいのです。
別にわざわざ自分を偽ってまで、不安にかられながらしゃべる必要はないのです。
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