人と深く関わり合うということ
私はたぶん、古い感じ方を他の人よりも多く持っている人間なのでこんなことを言うのだと思いますが、やはり同年代の人達を見ていても、他人と深く関わり合おうとする気持ちが弱い気がします。
他人と意見がぶつかることを恐れているというか、嫌われることを恐れているというか。
もっと言えば感情を揺さぶられることも、言い合いになることも、違う意見をすり合わせようとする行為さえ忌避しているようにみえます。
少し前ですが、私は初対面の方と多く会う機会がありました。
それはあるものづくりのためでもあったわけですが、その際に強く感じたのです。
やっぱり、どんな形であれ何かを創るという行為って、対面で喋るよりも心臓に近い所をみせるような気がしていて。
たとえ本音で話をしていたとしても、その人が作ったものを見たり聞いたり感じたりするほうが、その人のことを深く知れる気がするし、なんならその人の中に流れている血液で作られたもののような気がするほどです。
それに、自分の手で作り出したものに対しては、みんな愛着がある。
だから、自分の作品について語るときって饒舌になったり、話の中身に含まれる偽りや謙遜も少なくなったりする。
それに他人から批判されたときに傷つくのは自分の言葉に対してよりも、自分が作り上げたものに対するときの方が大きいんじゃないかと勝手に感じています。
とまあそんなふうに、心臓に近い部分の血液を取り出して作り上げていくものなので、私としては相手のことをよく知りたいし、まずはその人の創るものよりもその人の人柄自体を好きになりたい、そこを信じたいという気持ちがあります。
だから、ものづくりをする相手とはまず建前なしにいろんなことを語り合いたいし、色んな体験をしたいと思っています。
それには時間もかかるし、作品づくりの過程で意見がぶつかることも、相手の言いたいことが理解できないこともあるでしょう。
でもそういうものをなんとか一緒に乗り越えて、本当の心の距離が近づいていく。
そういう過程に私は時間をかけたいと思うのです。
もちろん会った瞬間に「この人、私とフィーリングがあう!」と感じる方もいます。
そういう相手って、きっと向こうも同じことを思ってくれているんですよね。
だから心の距離が近づくのにそんなに時間もかからなければ、乗り越える波乱も少ない。
本当はそういう人に早く巡りあえればいいと思うのですが、実際はそうはいかないので一人ひとりお会いして、言葉をかわしてみて、どんな作品にしたいかとかをお互いの作ったものを持ち寄って紹介し合いながら、一つずつ確認していくのです。
心が打たれ弱すぎて何も言えなくなる
※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。
※本ページはプロモーションが含まれています。