『逃げグセ』と向き合う
私が中学生の頃、初めての彼氏との初デートの日。
電車で来る彼氏を待って改札の前にいたのですが、もう非常に緊張してしまいまして、私はどうしてもこの場にいることができずに一旦逃げたんですよね、改札の前から。
待っているのがいたたまれなさすぎて、というかどうしようもなくじっとしていられなくて。
そして約束の時間を少し過ぎてから、うつむいたまま改札の前に出ていきました。
彼氏に先に見つけてほしかったのでしょう。
今思い出しても赤面ものですが、私は結局、昔からの逃げグセが変わっていないんだなあと、最近思い出した瞬間でした。
こんな非常にどうでもいい『逃げ』のようなものから、自分の人生において非常に重要な場面でさえ『逃げグセ』が出てしまうこともあります。
私は前まで、『嫌なことにわざわざ向き合う必要はない。人生という限られた時間の中で、嫌なことにわざわざ取り組む必要はないし、精算する必要のないものであれば堂々と逃げればいい』と思っていました。
しかし最近になってその思いに少しずつ変化が出始めたので、今回は自分の体験談も少し含めながら書いてみたいと思います。
結局私も自分の心に負荷をかけるのが嫌なのだと気づいた
この『逃げグセ』の正体に気づいたのは、過去に近くにいた人を反面教師にした時です。
彼は非常に愚かな人間でした。
私がこんなことを言うのもなんですが、彼は非常に物的にも心的にも貧しい人間で、収入も低いし、頭も良くないしお世辞にも顔がいいとは言えない、ついでに言えば口も臭いし、世間のことを何も知らない人で、それだからこそ自分自身に酔う事ができたのだと思います。
彼とは彼の友人を通じて知り合ったのですが、非常に可哀想な人だと思ったのを覚えています。
だって自分自身にいつも酔っていて、ツッコミ役を引き受けていたから周りはなんとなくアイツは頭の回転が速いと思っていたようですが、話すことには何の中身もないし、知ったかぶりばかりだし、すべて虚言なのです。
まあ彼のことを書き出したらキリがないのでこのくらいにしておきますが、こんな人間がまあここまで生きてきたなと思ったものです。
私はある事件をきっかけに、彼の言うことが全て虚言だと知ったわけですが、その虚言を口走る理由は自分を良い奴に見せたいという感情と、自分の立場をいかに安全な場所へ避難させるか(どう責任転嫁するか)をいつも考えていたという人生・思考のクセからだということに気がついたわけです。
彼はある悪いことをしてしまい、共通の知人に謝りに行かなくてはならないと私に相談してきたことがありました。
私はそれについて、あなたの悪いところはこういうことで、こういう理由でその知人が怒っている、その怒りは私からしたら正当なもので、今回の件についてはあなたが100%悪い、と告げたのです。
その上で、しっかり誠心誠意謝った方がいいと伝えました、彼も自分がやったことが悪いということはさすがにちゃんとわかっていたようです。
しかしどうでしょう。
彼は知人と約束していた場所・時間には現れませんでした。
それから彼はLINEなども知人をブロックしてしまったようで未読、ついには私達のコミュニティから姿を消してしまいました。
その件については彼が100%悪いのですが、私は彼の気持ちが少しわかるような気がしてしまったのです。
謝るのが嫌だとか変なプライドも少しはあったのかもしれません、しかし、自分が悪いということをわかっていて、どう謝っても償いきれないと思うようなことだったからこそ逃げ出したのだと。
心に大変重い負荷がかかることです。
結局のところ、彼はたくさんのものを失いました。
これって、バイトをバックレてしまう人の心理と似ていると思いませんか?
休みますという連絡をして店長からネチネチ言われるのが嫌だとか、休んだ次の日に行くのが憂鬱だとか、そういう気持ちからそのまま連絡を絶って止めてしまう。
恥ずかしながら自分がこれまでやってきたことって、そういうことに共通要素を見出すことができるのではないかと思うようになったのです。
自分の心とマナー・常識であれば自分の心を守るタイプの人たち
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