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失恋の処方箋[2] 恋の意味は「自分の存在意義」とは無関係!

失恋の処方箋[2] 恋の意味は「自分の存在意義」とは無関係!

恋活
yukino
yukino
2015.07.10

さて、話を本筋に戻しましょう。

私は一時期、恋人がいる友人のことが羨ましいと思っていたことがありました。

それは「手放しに自分の味方になってくれる、自分を愛して自分の価値を認めてくれる人がいるから」。

私は恋人がいれば満たされると思っていたのです。自分の存在価値を、他人からの価値であると思っているにもかかわらず、その価値を認めてくれる相手は恋人しかいないと思っていたのです。

無論、世の中であなたの価値を認めるのは恋人だけではありませんね。

家族、友人、同僚、上司、部下、学生時代の恩師や習い事の先生、その他大勢います。

職場で上司に褒められても、飲み会の場で部下に尊敬すると言われてもまだ心が満たされない。

それはなぜか。

一人になった時ふと、孤独を感じるからです。部下も上司も友達も、帰り道を一緒に帰る相手ではありませんから、帰り道にふと孤独を感じるのではありませんか。

けれど恋の楽しさ、幸せを知っている人は、そんなふうに「一人」を孤独だと思うのでしょうか。

あなたの心が恋をしていない寂しさに怯えるのだとしたら、それは「恋の喜びを知っている」ことの裏付けなのです。

でも妙だと思いませんか。

「喜び」を知っているがために現状を「悲しい」「孤独だ」「寂しい」と思うなんて。

あなたはその「喜び」をもう一度手にしたいと思っているはずなのに。

「悲しい」「孤独だ」「寂しい」と思う原因は"恋の意義は、自分の存在価値を認められること"だと間違った認識をしているせいかもしれません。逆に言うと、そうでなければ失恋した際「自分の存在価値」を否定することなんてあり得ないのです。

「恋の喜び」とはなんでしょうか。それは他人を愛することの喜びで、自分の価値を認めるためにするものではなかったはずです。

失恋で自分の存在価値を見失った時は、原点に帰ってこの問を考えてみてください。

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