付随してこのことも言えます。厳しい話をするようですが、これから書くことは一般ではなく特殊論であると捉えてください。
あなたはいま、物質的に豊かで、そして精神的に幸せですか。「物質的」に豊かであること=「幸せ」という考えは、世間一般では卑しい考えであると捉えられているフシもあります。それは「お金」への執着を卑しいと捉える風潮からきているものでしょう。
しかし「お金」がなくても、モノがなくても、「幸せだ」と自分に言い聞かせているのは、理想を自分の現在まで縮小させているだけなのではないでしょうか。
確かに何気ない日常を幸せだと思える心は尊いはずです。けれども「お金」がある方が周りの人を幸せにできると思いませんか。
たとえばここで「アフリカで飢饉に苦しんでいる子どもたちは幸せじゃないのですか」と、「日本でも家庭環境が劣悪で、もしくは障害などのために物質的な豊かさを望めない人たちは幸せじゃないというのですか」と、問いかけるのはお門違いです。なぜならその考えは世界や日本を思考のフィールドにした一般論だからです。
そうではない、「あなた」だけを思考のフィールドにおいた「特殊論」として考えてみてください。
私自身も決して豊かな家庭環境でなににも困らなかったとは言えません。確かに他人に当て付けられる「環境のせいにするな」という言葉には、だれでも反発を覚えますよね。
私も自己の内側から「家庭環境のせいにしてはいけない」と思うのはいいけれど、他人にそれを言われるのは違うと常々思っているからです。実際に教育学などでよく言われることですが子どもの学力と家庭の経済状況は大いに関係があるのです。
それに人間は、特に社会に出ると「他人」の評価なしには生きていけませんから、生まれてきた環境だけでなく社会的な環境にも大きく影響されなくてはならないのです。ですから一概に「環境のせいにするな」とは、どうしてもいうことができません。
けれどもあえてここではお伝えしたいのです。
「お金」が欲しければ、「お金」が与えられるように動かなくてはならないのです。
「今が幸せだから…」と自分をだますのは成長の機会をみすみす見逃しているだけなのです。
己の能力を、理想まで拡張して見るほうが、自分の環境のせいにして成長を止めるよりずっといい。
けれどここで一つ、先ほど少し書きましたように「お金」が与えられるように動くためには、「会社」の中で「他人」からの「評価」が必要になります。
この「評価」を気にせずただ一途に「自分がどうなりたいか」だけを見据えていても、その理想に近づくための努力が「他人からの評価」を得られないようなものであれば、その理想に近づくために必要な「お金」は得られません。
では「他人」からの「評価」について、(ある意味自分を取り巻く環境に対して)次で考えてみましょう。
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