「子どもを産むのが怖い国 日本」
小さい頃は漠然と、「愛する人と結婚して、可愛い子どもを産んで、平凡ながらも幸せな家庭を築くんだろうな」と思っていた人も多いのではないでしょうか。
そのとき、子どもを産むことって怖いと思った人は本当に少ないと思います。
あなたは今改めて子どもを産むということを考えてみて、どう思いますか。
怖いと思いますか。
最近、女性の友人と数人で話をしていたときに「子どもを産むのが怖い」と言い出した人がいました。
彼女はほんの少し前まで、「早く子どもが欲しい」「この際旦那さんはいいから、子どもだけでも早く欲しい」と言っており、子どもが大好きな結婚適齢期の女性です。
彼女の口からそんなことをきかされるとは、私も友人も思ってもみませんでした。
そして、彼女が語ったことを聞いて、私もちょうど同じようなことを感じていたことを思い出しました。
さらに、その話を聞いていた他の友人たちも、それに共感し次から次へと子どもが怖い理由を語り始めたのです。
子どもを産むのが怖い理由
子どもを産むのが怖い理由は、人によってさまざまだと思います。
わたしは、自分が子どもを妬んでしまいそうなこと。
急に子どもを産んだからといって母が私に絶え間なく注いでくれた「無償の愛」が自分に芽生えるか不安であること。
何もかもをなげうって子どものために生きることが自分にできるかわからないこと。
子どもが自分よりかわいいと思えるか不安なこと。
子どもが将来的にどう育つかわからないこと。
などが不安の要素でした。
自分は夢をかなえられなかったし、思い通りの人生を歩めてもいない。
過去に戻って人生をやり直したいと切に願っているこの状況下で、これから自由に作っていける人生へ走り出す我が子を、どう扱えばいいかわからないし、妬ましい気持ちにならないという保証がありません。
妬ましく思いながら無償の愛を注がなくてはならないなんて、精神が耐えられる気がしません。
いままでは、だれでもそうだとは思いますが、一番自分をかわいがる生き方をしてきても、誰にも文句を言われませんでした。
自分のことがかわいいのは、別に責められることではありません。
むしろ当然のことだと思います。
自分を守ってあげられるのは自分だけですし、自分を愛してあげるべきだと思っています。
けれど、子どもができたら「自分が一番かわいい」では通用しなくなってきます。
子どもを優先し、子どもを一番に愛さなければならないのです。
本当はそうする必要もなくて、子どもはある程度育ってきたら母親も母親の仮面を脱ぎ捨てて「女」としても「人間」としても自由に生きればいいと思うのですが、今の日本ではそうもいきません。
「母親像」が凝り固まりすぎています。
他の先進諸国であれば、ベビーシッターを雇って遊びに行くことや仕事に励むことはとがめられた話ではありません。
しかし、日本はベビーシッターという制度自体好ましく思われておらず、どんなに仕事が好きな女性でも、どんなに仕事で有能であっても、子どもをベビーシッターに預けて仕事をしていると「母親失格」と陰口をたたかれることもあります。
「3歳まで神話」も根強く、子どもが3歳を過ぎるまでは母親が毎日一緒にいて愛情をたっぷりそそぐべきだとされています。
愛情は一緒にいることだけではありませんが、いまだに日本ではそういわれていますよね、
そういうしがらみが怖いと、私も思います。
産んだ責任があるし、子育てはきちんとすべきですが、だからといって自分のやりたいことを押し殺して生きる必要もないと、そう言い出せない社会の空気が怖いです。
もしかしたらこう書いているわたしを「母親になる資格がない」と感じる人もいるかもしれません。
それは自由ですし、そう思う人を否定しません。
けれど、みんながそうあるべきとか、この考え方こそ正しいということを周囲に振りかざすことだけはしないでほしいのです。
さて、ここまでは自分本位な理由ばかりでしたが、経済的な理由や育児を支援する体制についても不安があるという悩みを聞きました。
旦那候補の彼氏の収入ではとても生きられないので、すぐにでも共働きにならなければいけないのに、保育園に入れられない可能性があるのは怖い。
リアルに生きていけなくなったらどうしよう。
親を頼るしかないのかな、頼れる親兄弟がいないけどどうしたらいいんだろう。
とか、ひりひりするような話をたくさん聞きました。
怖いですよね、
未来に不安があるまま、新しい命を育てていこうという気持ちになんてなれるわけがありません。
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