恋をする余裕はないけど恋人がいない寂しさは感じる……
仕事量や残業が多かったり、給料が低かったり、または正規雇用でもなくて将来が見えなかったり……。
これはすべて私や周囲の友だちが直面してきた「恋愛に意欲的になれない」理由の数々です。
最近ニュースアプリなんかを騒がせている働き方改革や、仕事の忙しさが恋愛に影響を及ぼしているという話なんかの、まさに渦中にいるのだということを実感しています。
恋愛から離れてしばらく経つと、「恋人と一緒に過ごすことってエネルギーのいることだったんだな」「恋をするって余裕が無いとできないことだったんだな」と、改めて気付かされるということもあるのではないでしょうか。
恋愛中は恋人がいることに力をもらっていたり、恋人への愛しさを明日への活力に変換できたりしていましたが、それさえも今では難しい……そう思うようになってしまった方もいるのではないかと思います。
かといって、ふとした瞬間に頼る相手がいなかったり、自分の味方をしてくれる人がいないと実感したり、はたまた友だちよりも気を遣わないで自分の些細なわがままを、許して受け止めてくれる人が欲しいと思ってしまうこともあるのではないでしょうか。
そういうとき最初に思いつく相手が、やはり恋人かもしれないと思ってしまう人も多いと思います。
私がそう思ってしまうのは、おそらく恋愛をしていた時にうめられていた穴が、今ぽっかり開いているから。
今回はそこに焦点を当てて、自分が本当に「恋人」でないと満たされないのか、それとも何か別のことを求めているのかを、詳しく見ていきたいと思います。
恋人がほしいと思う理由は何か?
先述したように、恋人から与えられるものは数知れずありますよね。
愛情や、人との肌のふれあいがもたらす安心感、自分の味方がいるという居心地の良さ……様々です。
マズローの欲求段階説でいけば、恋人が与えてくれるものは、所属欲求および承認欲求が主なものだと思います。
そして大事なのは、現在の欲求段階において自分がどのステージにいるのかを見極めること。
たとえば現代日本では欲求段階において下位層にある、生理的欲求や安全欲求が全く無いかと言われると、そうではないと私は思っています。
確かに生理的欲求が満たされないことはそうそうないでしょうが、かといって安全欲求がもっと形を変えて、現代日本においては適応される可能性がないと言っては嘘になると思うのです。
マズローがこの説を唱えたのは、いわゆるひと世代前の話ですよね。
この欲求段階説を私なりに現代日本に適応させるのだとしたら(私は心理学者でもないし、なんの権威もないけれど)、安全欲求はお金や労働にまつわる圧迫だと決定づけると思います。
もしこれが正しければ、日々の「なんとなく欲求不満」「なぜか満たされない」という不満は、そこに隠れているかもしれないのです。
自分が満たされない理由を的確に把握すること
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