喧嘩=悪とは限らない
世の中の多くの方は、友達や周囲の人に対してちょっと「ん?」と思うことがあったとしても、大抵の場合ぐっと言葉を飲み込んで、その場の穏便を手に入れようとすると思います。
それは非常に大人的対応で、それがあるからこそあなたの周囲の人間関係が円滑に回っているのでしょう。
ですからこの場合は、人間関係を保つ点において喧嘩=悪といっても過言ではないと思います。
一方で、多くの方が実感しているようにその関係性が密になれば密になるほど、感情の絶対値も大きくなるし、大きくなるほど我慢することが難しくなります。
先述した友達や周囲の人間との関係と、恋人との関係を比べた時、どちらのほうが「関係がより密」で、相手の行動でこちらが抱く感情が(喜怒哀楽すべてにおいて)大きいかは比較するまでもないのではないでしょうか。
もちろん大事な大事な友人で、恋人とは比較にならないという人もいると思いますが、友だちと乗り越えるべき壁の多さと、恋人と乗り越えるべき壁の多さは比較にならないように感じます。
さて、話を戻して……恋人と意見が衝突して喧嘩をしてしまうとしますよね。
喧嘩をするというと、どうしてもその言葉の持つニュアンスから喧嘩=悪という感じを抱くと思います。
喧嘩をするほど自分の想いをぶつけて、理解してもらえないことにやるせなさを感じて、それでも理解してもらうために言葉をかわす、その言葉のやり取りが、感情が高ぶるにつれて多少乱雑になることもある、というだけのことだと私は思うので、「喧嘩」という言葉の辞書的な意味合いは、恋人同士の喧嘩には当てはまらないと思っています。
ですが便宜上、そのような恋人同士の熱い議論をここでは喧嘩と言うとして、それが悪いイメージになる、後味の悪い喧嘩をしているというのであれば、それは喧嘩のルールを守れていないからではないでしょうか。
前置きが長くなってしまいましたが、今回はそんな喧嘩のルールをご紹介します。
#1 相手を言い負かすための喧嘩ではない
喧嘩をした時、どうしても自分の意見を通そうとして相手の揚げ足を取ったり、相手の言葉に無遠慮な批判を加えたりすることがあるのではないでしょうか。
先述したとおり、喧嘩のきっかけはたいてい「相手に理解して欲しい」という思いです。
それって、非常に高次な恋愛的欲求だと思いませんか?たとえば対象が、芸能人やアイドルであればこんなふうに思わないはずです。
アイドルのことを「理解する」「知る」ので精一杯で、自分の存在に気づいてもらうことすらなかなか難しい。
でも、恋人は目の前にいて、しかも相手も自分を愛してくれているという確証があるから「理解して欲しい」「知ってほしい」という欲求につながるわけですよね。
この欲求の尊さを無視して、相手を言い負かすために、つまりは自分を正当化しようとして相手にきつく当たるという行為は、とてもいただけないことだと私は思います。
相手に理解してほしいという欲求が攻撃性をおびた時、自分は恋人に愛情を与えられることに慢心して、目の前にある些細な幸せの価値がわからなくなってしまったのだと思ってみて下さい。
そのことがいかに愚かなことなのか、わかってくるのではないでしょうか。
#2 相手が嫌がることを言おうとする自分がいることに気づく
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