愛することと言っても、人によって愛の形は違ったりする
人によって愛の捉え方は人それぞれです。
愛することと言っても一概に言えるものではないため、今回お話することはひとつの考え方と捉えてくださいね。
私はこの「愛すること」に行きついた、というだけなので、もしかしたらあなたの考える「愛すること」とは真逆かもしれませんし、私と同じ考えの愛することを持っているかもしれません。
愛には形がないため、皆、ふんわりとした「愛すること」を持っている、だからこそ面白いんですよね。
というわけで私自身の「愛すること」とは何かお話していきます。
愛することとは彼をそのまま受け止めるという事
私自身、中学生頃から愛とは何かを考え始め、何年も「愛することとは」の答えを出せずにいました。
自分だけの気持ちの中を探っても愛とは何か、わからなかったので好きでもないけど「愛している」と言ってくれた人と付き合ってみたりもしたんですよね。
あれはあれで良い経験ではありましたが、愛することとは何かそこでもよくわかりませんでした。
哲学書なども読み、愛を学ぼうとしましたが小難しすぎてわかりませんでした。
でも、こういった経験からなんとなく、段々わかるようにはなってきたんです。
そして行き着いたのが、愛することとは彼をそのまま受け止めるという事でした。
言っちゃえばこれ、母性です。
ちょっと失敗した彼でも、酔っぱらっている時に欽ちゃん走りになっちゃう彼でも、愛しいと思うことこそが愛するという事なのかなと。
母親が子供に対する眼差しこそが、愛することなんですよね。
愛することの中に幻滅という概念はなく、ありのままを受け止めるだけ。
何かをアクションするわけでもなくどっしり構えて眺めている、それが私の思う愛することです。
この愛することは、完全な母性ではないので正直、全てを受け止めきれはしません。
でも、愛せるところだけ愛するというのも良いと思うんですよね。
受け止めきれない分は、後々受け止めたら良いんじゃないかなって。
できた人ならば、彼をもう少しそのままどっしり構えて受け止めることができるのかもしれませんが、そんなことができるのは彼の母親くらいのものだろうとも思うんですよね。
なので私は受け止められる分だけを受け止める、それだけでいいんです。
愛することとは見返りがなくても継続すること
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