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大人の恋心をくすぐる♡百人一首から「切なく痺れる恋の歌」

大人の恋心をくすぐる♡百人一首から「切なく痺れる恋の歌」

恋活
yukino
yukino
2015.09.04

個人的に百人一首の中でも上位五首に入るほど好きな句です。

その命もその人のためならば捨てられると実感することなんて、現代ではほとんどありませんよね。

それはもちろん命を賭すようなことがないという安全な世界だからではありますが、昔はどんな人も短命でしたし、幽霊やあやかしなどのたぐいも信じられていましたから、今では考えられないほど人の命の灯火は簡単に消えてしまうものだったのだと思います。

そんな状況下にあって、――つまり【死】というのが身に迫るものであってもなお――、その人のためなら命も惜しくないと思えるその恋は、きっとその人にとって最初で最後のものになるのでしょう。

それでも、逢えた時の幸福はその思いも凌ぐ。

この歌を書いた藤原義孝は、21歳という若さで亡くなります。

愛しい人と閨をともにし、その逢瀬から帰った後にその女性へ送られた歌であり、このような歌を「後朝の歌」と呼ぶそうです。

次の歌もそうですが、唯一愛しい人に会える夜の時間に幕を落とす朝というのは、昔の恋する男女にとっては耐え難くつらい別れを知らせるうらめしい存在だったのでしょうね。

【六首目】明けぬれば くるるものとは 知りながら なほうらめしき 朝ぼらけかな

【訳】この夜が明け、また夜が巡ってあなたに会えると知ってもなお、こんなに朝のぼんやりとした光が恨めしいなんて。

互いに好きあう二人にとって、少しの別れでも惜しいもの。

現代でも恋をしたときには、「またすぐに会えるのに、寂しい」という思いをする人も多いはずです。

今でこそSNSや電話などでその寂しさを埋めることは可能かもしれませんが、もちろん当時はそんな早さで情報は人の元へ向かいません。

どんな手紙でも人の動く早さでしか届かないものなのです。

昔の人は、一夜を共に過ごしたその思いを後朝の歌にして送りました。

特に当時は男が女のもとへ通い、朝方に帰っていくというのが平安時代の貴族の習慣だったために、このような後朝の歌が多くはいっているのも百人一首の特徴といえるかもしれませんね。

いかがでしたでしょうか。

社会人や大学生になって百人一首なんて見向きもしなかったという人も多いかもしれません。

けれど少し知ってみると奥深く、時に詠み人の歌に込めた思いがこみ上げてきて、感情へいい刺激になります。

最近は百人一首にまつわる色んな本も出ていますから、ぜひ気になるものからお手にとってみて下さいね。

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