恋の重みが誰の心にも残る歌をつくる
人が恋をするというのは、平安時代、いやもっとずっとまえから幾度と繰り返されてきたことです。
そして今を生きる私達も、平安時代や昔の恋ほど身分など難しい理由による困難がないにしても(あることもありますが…)恋の切なさや甘さを知っている。
何人もの人が恋の苦しみを知っているのに、その子供も、その孫も、恋を繰り返しているのです。
やめないで、ここまで恋というある種の文化が続いてきたのです。
だからこそ百人一首の中でも恋の歌が人の心に重く、切なく残るのかもしれません。
前回は「甘い恋」というのをテーマにいくつか歌を拾いましたが、今回は「切ない恋」というのをテーマに取り上げてみました。
(【訳】は私なりの意訳であり、正確な直訳ではありません。できるだけお心に届きやすいように砕いている部分がありますので、歌の中の言葉遣いや文法、言葉の意味が知りたい方は調べてみてくださいね♡)
【一首目】あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかもねむ ――柿本人麿
【訳】あなたというこの切ない思いの預け人に会えないまま、一人眠る夜はあの山鳥の尻尾のように長く心寂しいものだ
この歌は百人一首では三番目に登場する歌なのでみなさま馴染みがあるものなのではないでしょうか。
中学生の頃の私は、「山鳥の尾のしだり尾の」というところがどうも音が並んでいておもしろく、特に内容に興味をもったわけではなくこの歌が好きでした。
この歌は山鳥のしっぽの長さを見て、想い人に会えない夜の長さをそれになぞらえているのですね。
確かに好きな人に会えないで一人ベッドに丸まって眠る夜は長く感じられますよね。
それを昔の人も、同じように感じていたのかと思うと不思議な愛着がわきます。
ところでみなさまは実際「山鳥」をどんなものかご存じですか?
私は知りませんでした。どうやらこんな可愛らしい鳥のようです。
確かに尾が長いのですね。
【二首目】あらざらむ この世のほかの 思ひ出に 今ひとたびの あふこともがな
【訳】いよいよこの身も終わりです。ただ最後に、あの世への思い出に、あなたにお逢いしたいと願ってやみません。
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