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卑屈な人ってどんな人?その特徴と改善方法

卑屈な人ってどんな人?その特徴と改善方法

恋活
まひる
まひる
2019.05.20

卑屈な人の外見的特徴

Horizontal portrait of pleasant-looking Caucasian female with long hair, pink on tips, having tattooes on arms, wearing white casual T-shirt, covering her face with hair, looking happily in camera

卑屈な人というのは、その外見などにも特徴として現れるものがあるようです。

・猫背

卑屈な人に多いのが猫背で、そのねじ曲がった精神からか背筋も曲がってしまったようで、実際の身長よりも低くなるほど背筋が曲線となっている場合もあるようです。

まあ、少なくとも「胸を張れる」性質ではない、俯くことの多い人生だったからこのような姿勢になって行ったのかもしれません。

・目を合わせない

これは、卑屈と言うよりも自分に自信のない人に多い特徴で、自分に自信がないという思考的特徴が卑屈な人に多いことから、必然的に表裏一体のものとなります。

人の目を見るというのは案外勇気がいる行動で、少なくとも自分に自信のない人が人の目を見て話すのは、かなりハードルが高いものかと思われます。

何か相手に自分の器のなさ、弱さ、狭隘さなど、それらが見透かされてしまっているようで、相手の目を見ることが出来ないのです。

・早口で聞き取りにくい話し方

卑屈な人と言うのは、そういう性質である割に自己主張だけは立派だったりする、そして他人からダメだしをされたくないプライドの高さもあるので、基本的に自分の言いたいことばかり話すタイプが多いようです。

そして自分の言いたい事だけを話す人と言うのは、「自分の発言が済めばいい」「人に遮られずに自分の言いたい事が言えればいい」ことから、早口になる傾向があります。

その割に卑屈という性質により他人から避けられている、だから会話をする機会が少ない、だから話し慣れておらず、早口でその上聞き取りにくいというおまけ付きになるでしょう。

卑屈の改善方法

Portrait of older woman smiling with arms crossed by wall

本当にどうしようもない卑屈な人ですが、もちろん本人の意思でそれは改善されると思いますし、逆に改善しようと思わなければずっと卑屈なままとなるでしょう。

ではどのように卑屈な自分を変えるかですが、それは自分を適正に評価するという、とても簡単な方法で改善出来るようです。

具体的には、まず行うべき事は「結果が数字として現れるもの」を探して、他人と争う形式にしてみると分かりやすいかと思います。

出来れば自分の得意分野で、数学が得意なら数学のテストで、アプリのゲームが得意なら得点で勝負する方式で、そういった数字が現れるものを探してみましょう。

それで実際に争ってみて、自分が勝利することである種の承認欲求が満たされていきますので、少なくとも「そこでは」卑屈になりようがありません。

そういうことを続けることで、普段の卑屈にも何らかの効果が現れるはずですので、まずはそれを続けてみましょう。

次にやれるべき改善方法は、減点方式で自分を採点しないことです。

日本という国は大多数が減点方式で採点されますので、根強くこの方式が頭に刷り込まれていますが、とりあえずそれは捨てて加点方式で自分を採点してみましょう。

それだけでも、「加点」という観点からポジティブになれますので、単純ではあるもののおすすめです。

そして次に、やはり自分は自分、他人は他人という考えを持つことです。

他人を自分に関わらせてしまうと、卑屈な人というのはどうしてもその他人と自分を比較してしまい、しかも必ず敗北してしまうので、百害あって一利なしなのです。

よしんば比較して自分が上回ったとしても、それはほんの束の間でしかなく、いずれ圧倒的な存在をわざわざ自分の傍に持ってきて、わざわざ自分を負けさせる筈ですのでやはり意味はありません。

肝心なのは自分自信であり、比較対象となる他人ではありませんので、まずその辺りをはき違えないように、その前提を理解するところから始めましょう。

次は…まあ何でも良いのでひとつの事をやり遂げてみては如何でしょうか?

卑屈な人というのは、これまでご紹介した特徴からおおよそ見当が付くと思いますが、どんな事でもまずやり遂げることが出来ず、途中で投げ出してしまいます。

つまり、やり遂げられず途中で投げ出す人というのは、イコールで卑屈な人となりますので、逆説的ではありますが投げ出さずに続けることが、卑屈な人でなくなる結果となるかもしれません。

最後に、改めて自分はどの卑屈の特徴を持っているか、それをピックアップしてみて洗い直してみましょう。

自己分析は自分を理解することに繋がる、そしてそれは自分が卑屈である事を自覚出来ることに繋がり、最終的に改善に結び付くことになるでしょう。

特徴を把握出来たのであれば、その特徴をどのようにすれば隠せるか、見えないようにするかなど、消極的ではありますが「なんとかしよう」と考えるはずです。

しかし、そんな消極的では結局改善は出来ないと思われますので、否応なしに積極的な改善を試みなければならなくなりますので、その結果卑屈さの改善となるのです。

あくまで「謙虚」に!

卑屈さを完全に治して、卑屈の「ひ」の字もない自分に自信過剰な人物になったとします。

それは卑屈よりもずっとマシとなるのですが、実のところそこまで自信過剰な人物も、それはそれで周囲から避けられる、面倒な人物として扱われてしまうのが現実のようです。

もうそれが面倒臭いと思われるかもしれませんが、要は何が必要かと言うと「謙虚」なのです。

自分を下に置くものの、そこはかとなく前向きさが見える、自信の喪失には至っていない…そういう卑屈にも自信過剰にも該当しない、中間の意識が求められるのです。

曖昧な表現が得意の日本人ならではの意識ではありますが、少なくとも卑屈や自信過剰よりは求められる、この国の社会で求められるものですので、社会に生きていく以上はそれを身に付けなければならないでしょう。

強制ではありませんし、卑屈でも自信過剰でも社会では生きていけるのですが、はっきり言って「生き辛い」ことは間違いなく、そのための強い精神力が必須となるでしょう。

だから、そんな気苦労をするくらいなら、社会に溶け込めるような謙虚さを持つことが、成人になった以降で自分自身を生きやすくする近道になるかと思われます。

まあそれでも一部、我が道をゆかんと謙虚さの欠片もない人が居ますが、それで成功するならそれが正しいということになりますが、失敗すれば…もうどのような結末を辿るかはお分かりいただけると思います。

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