努力なしで関係は維持出来ない
恋人関係というのは努力で維持されるのが当たり前、それなくしてカップルというのは成り立たない…そんなことは、一度でも恋愛をしたことがあるなら常識の範囲でしょう。
しかし浮気されたことで、自分の努力が足りなかったとか相手に努力をする気がなかったのかなんて、努力という面に対して改めて思うところが出来ることがあるのです。
やはりそこは、浮気されたという恋人関係が即座に破綻する出来事に見舞われたのですし、そこで自分達の努力について疑問を抱くのは当然だと言えるでしょう。
恋人として当たり前の努力、そしてそれをひっくり返してしまう浮気…過程を考慮すると、この真理に行き着くのも頷けると言うものです。
ではその努力というものが一体何なのか、恋人関係において成す必要のある努力というものがどのようなものなのか、ここでおさらいをしてみます。
例えば何かを言い争ったとして、お互いがひどく傷付いたとします。
そうなると人は自分を守るために、または負けたくないために、谷底を転げ落ちるかのようにさらに厳しい言葉を相手に投げかける…これが努力をしていない顛末となるでしょう。
何せ自分を優先で考えている、相手のことを何も考えていないのですから、そんな恋人関係というのはすぐに破たんするでしょうし、破たんして然るべきだと言えます。
しかし、自分を優先に考えずあくまで相手の、恋人のことを思ってそれを受け止める、自分が愛情を以て制するのは、それは努力と言えるのではないでしょうか?
そこには我慢しなくてはならないところがあったり、相手の気持ちを察するという行動が求められますので、それを自主的にするのは努力以外何物でもないと思うのです。
自らがそうすることで、相手も気持ちを察してくれて同じく努力をするようになる、恋人関係を維持しようと考える…つまり、努力が努力を呼び好循環を促すことになるのです。
ですが浮気されたことで、その努力は泡となって消えていきます。
だからこれまでの努力は何だったのかと、改めて努力なしでは恋人関係は維持出来ないと考えてしまう、自然とそう思ってしまうようになるのでしょうね。
嫉妬は危ない
浮気されたということは、恋人に友人以上の関係である異性が傍に居たことになり、それは自分にとって敵となることはもはや言うまでもありません。
だから恋人関係が終わりを迎えると同時に、その諸悪の根源である異性…つまり自分にとって同性相手に対して、強く思うところが表れるのは当然の流れだと言えます。
そしてその思うところというのは、ほとんどの場合「嫉妬」となるのですが、おそらくその際に生まれる嫉妬はとてつもなく大きなものであることが伺えます。
それこそ奥底から沸き上がってくるような、ドロドロとした自分のありったけの負の感情が込み上げてきて、今までの自分ではないかのような錯覚すら覚えるかと思います。
それを危険だと自覚することがあるのです。
これまで一度も感じたことのなかった、また沸き上がることがなかった嫉妬という感情というものが、思いの外ドロドロとしていて自分自身でも怖くなるのです。
その勢いで何をしでかすか分からない、下手をすれば誰かを傷付けてしまうのではないかと、そういう自覚が自分に生まれてしまうことで自分自身が恐ろしくなるのです。
浮気相手を知っている場合ですと、その同性と自分を比較したり差を見つけたりして、それにより嫉妬が芽生えることも少なくありません。
それも結果的にその浮気相手である同性を憎むことになり、そんな感情が自分にもあったのかと自分自身が理解してしまうことで、恐怖を抱くことに繋がってしまうのです。
しかし、それを知る由はほとんどありません。
時に明確な理由があって浮気相手を選ぶ、それをきちんと今の彼女に伝えて別れを告げる男性も居るには居ますが、ごく少数であるのが現実でしょう。
大多数は適当にはぐらかしたり雑な別れをしたりで、振られた彼女というのは置き去り、もちろんその気持ちもおざなりとなります。
それがさらに嫉妬の炎を燃やすこととなり、当面は泣きはらして毎日を過ごすものの、ある日突然自分の中にある嫉妬に気付き、それもまた恐ろしいと思う結果となるでしょう。
運命なんてない
恋人と付き合った当初は、それこそこの人が運命の相手、これからこの相手と結婚をして未来を育んでいくという想像を、当時は幾度となくやっていたのではないでしょうか?
しかし浮気されたことでそれが全て覆り、運命と思っていた相手はすでに浮気相手の元へ…こうなると、運命も何もあったもんじゃないと思うのは想像に難くありません。
これは勝手な話とも言えるのですが、自分が運命と思っていた相手であるはずなのに、その確信を全て否定されてしまえば運命なんて信じなくなるのは当たり前なのです。
「確信」だけにそのダメージは深刻で、場合によっては異性嫌いになってしまったり、人間不信に陥ってしまうこともあるようです。
なおそのダメージの度合いによっては、愛情とか恋愛そのものを全く信用出来ない、上っ面のものでしかないとう極論に行き着いてしまうことも少なくありません。
やはり運命を信じ込んでいた際の裏切りというのは、人に多大な精神的負担を与えてしまうと考えられ、それに伴う弊害も多大であることが予想されるのです。
となると、相手を完全に信じないことが求められるのですが、それでは信頼関係が重要な恋愛を進めるには矛盾していることになります。
だからこれからは運命なんて信じない、でも信頼があってこその恋人関係…浮気された以降は、こういう葛藤にも悩まされることになるでしょう。
もっともこれは、信頼しつつも未来予測として別れの可能性を考慮することは、残念ながら必要枠になるかと思います。
未来において100%というものは存在しないのですから、それがごく僅かであっても頭の片隅に置いておくくらいはしておくべきなのです。
それは相手を信頼していない、だから恋愛が成立しないと思うかもしれませんが、それは同時に相手を完全に信じ込むことに危険性がある考えを持つことを、放棄していることになります。
まとめ
辿りつく真理にはいろいろあるようですが、はたして次の恋愛でこれらの真理を生かせる人は、一体どのくらい居るのでしょうか?
答えを言うなら、ほとんどの場合は「居ない」と考えられます。
理由は、その真理に気付いた時が浮気された後…すなわち、別れが決まった後若しくは別れを決意した後という、疲弊した気持ちによるところが大きいからです。
おそらくある程度心も回復して次の恋愛に行く頃には、ほぼ確実に失恋したまもない頃の気持ちなんて忘れてしまいます。
それどころか、そんなことあったっけ?とかそんなこと考えてたのかな?なんて、真理に気付いたことすら忘れている可能性だってあるでしょう。
それでは勿体ないですよね。
せっかく恋愛の核心に触れた真理に気付いたのですから、次回の恋愛にそれを生かさないなんてあまりに勿体ないと言えます。
それを覚えていたことで助けられることもあるかもしれませんし、出来れば事後に気付いた何かについてはしっかりと覚えておく、メモを取っておくくらいでいいでしょう。
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