「愛されたい」というのは、非常に強い人間の根源的な欲求だと思います。
だから、愛されたいと思うのは当然だと思っていいし(自分は愛に飢えているのだとか愛されたがってばかりいるという心配はしなくていいということ)、それに対して自分は行き過ぎだと思うことはないのです。
きっと、愛されたいという欲求が強い人ほど本当は誰かを愛したいのだと思うし、自分の中にたまりきった愛を放出する先を求めているというか、誰かに渡したくて仕方がないのだけれど、その相手が見つからないからなんともぐしゃぐしゃな感情が胸の中に巣食うのだと思うんですよね。
実際私も、それを強く感じていた時期がありました。
特に大学時代は、告白された相手を人間的に嫌いでなければOKして付き合っていたし、それゆえに痛い目にあったこともあります。
彼氏から「本当に俺のことを好きじゃないなら、なんで付き合ったの?」と言われたこともあったし、男友達から付き合った理由を聞かれ「振るのが辛かったから」というと「それは優しさじゃないよ」と説教されたこともあります。
当時の自分には、それがなぜだかわからなかったんですよね。
自分にとっての「愛」って恋愛にしかなかったから、私は「親からもらえなかった愛情を恋で満たすしかない」と思っていたんです。
親からもらった家族愛に気づかないのも愚かだったと今なら思うし、「家族愛」を「恋愛」と置き換えることができていたにも関わらず、今のような考えに至らず、ただ「家族愛」は「恋愛」でしか埋めることが出来ないと思い込んでいたのも疑問。
ただ、そうと気付けなかった自分の未熟さは、今の私にとっては一つの勉強材料になっているわけですから悪いことだけだったとも言い切れませんが。
どんな愛情でも、人間は幸せになれると思う
※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。
※本ページはプロモーションが含まれています。