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「同じような内容じゃん!」恋愛コラムに疲れてしまった時の対処法

「同じような内容じゃん!」恋愛コラムに疲れてしまった時の対処法

恋活
yukino
yukino
2017.06.06

私がどうしてそう思うかに至ったかというと、恋愛は良くも悪くもその人の生き方に影響をあたえるほどの、大きなパワーを持つと思うからです。

恋愛は愛し愛されることで、承認欲求や自己肯定感、自分の存在価値を見直すことができ、頼る人や自分といつでも向き合ってくれる相手を見つけられるかけがえのない事象です。

どれほど親しい友人関係でも、スキンシップを含めた愛情表現を一身に受け、求められ愛される喜びを知ることの出来る恋愛関係には、かなわないところもあるのではないでしょうか。

私はよくコラムで恋に盲目にならないように、できるだけ周囲の話を聞いたほうが良いと書きますが、実際それが非常に難しく、またそのように気をつけていると恋を楽しめなくなってしまう(気にしすぎてしまう)ことがよくあることも知っています。

最も理想は100%恋に盲目になっても、友だちや周囲の人に迷惑をかけず、彼が理性的でない行動をしたらそれに対して冷静に対処することが出来るというものでしょう。

それはお互いの分別やマナーがあるかどうか、社会的な人間として逸脱した行動を起こさないかなど様々な点において論じることができます。

大げさだと思うかもしれませんが、先述したように人を愛し、人に愛されることで得られるものは承認欲求であったり、自己肯定感であったり、ともかく自分の人間としてのアイデンティティを得られるものです。

多くの人がもっともっと、と求めるようになって(この言葉に悪いニュアンスは含まれていません)いくので、愛は深まるし、人間的な根幹の部分に占める恋愛の割合が大きくなっていくのだと私は思っています。

見た後のモヤモヤには「自分で咀嚼し直すこと」で対処

女性

もしもコラムを読んだ後にモヤモヤすることがあれば(このコラムも含めて)、自分はどうしたいのか?をきちんと考え直し、このコラムをどう捉え直すか、真に受けたいかどうかを考えるのが良いと思います。

論文でさえ個人の主観の入る書物ですから、コラムなど人の主観で書かれていることばかりです。

その人の経験から誰かに伝えられること、伝えたいことを抽出して書いているということですから、いくら客観性を保とうとしたところで主観要素が入るのは当然のこと。

ですから、その人の経験談を受け、自分はどう思うのかをきちんと心のなかで整理する癖をつけたほうが良いと思います。

これは恋愛コラムだけでなく、多くの読み物で同じことがいえます。

私もよく新書などを読んで、「本当にそうだろうか?」と思うことがあります。

しかし、そういう時は筆者がどういうバックボーンからこれを述べているのか、これを読者に投げかけることで何を期待しているのか?を考えることにしています。

そうすることで、与えられた情報に対し前のめりになっていた自分の姿勢を正すことが出来るのです。

つまりそれまでは、その人の主観で提示してきた情報をすべて「正」ととらえて、その事実のほうが自分の思いよりも強い影響力を持つようになっていた。

極端に言えば「この情報は正しいから、そうできない自分が不甲斐ない」と思うようになっていました。

しかし、それを「この情報が正しいかどうかはさておき、こういう考え方をする人もいるわけだ、自分はどう考える?」と一歩引いた視点で冷静に捉えられるようになるということ。

こうすれば「そういう考え方をする人もいるけれど、自分の心はそうではないと言っている」「だから私はこういう考え方をして、こういう生き方を望んでいるのだ」と分かるようになってくると思います。

それを極端に述べたのが先述した「ありのままの自分を愛して欲しい」なのか、「男性によく見られるために頑張りたい」なのか、につながるというわけです。

もちろんスタンスは、この二つだけではありませんが……。

自分のスタンスをはっきりさせて

もしも恋愛コラムにうんざりしてしまった時は、一度距離を置いて考えてみるのが良いのではないでしょうか。

そうすれば、たくさん読むことで自分の考えやスタンスがあぶり出されてきて、他者(コラムも含め)に振り回されることは少なくなるかと思います。

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