愛されたいと嘆く人の多くは、相手を試すようなことをしがちです。
例えば急に「嫌い」と言ってみたり「別れる」と言ってみたりです。
彼からしてみれば、今まで仲良くしていた彼女がそんなことを言うのはとてもショックなことであり、悲しくなる言葉でもあります。
そんな彼のショックな様子を見て、「愛されているかも」「好かれているかも」と実感を得る、なんてことを愛されたい女子はしがちなんです。
ですが、そんなことを繰り返しても愛は確かめられません。
何故なら、愛があってもなくても、彼女にそんなことを言われるのはショックなことだからです。
そこまで好きじゃなくても、付き合っている人から「嫌い」なんて言われたら、自分を全否定されたように思えて辛い気持ちが生まれるんですよね。
つまり、ショックに愛しているか愛していないかは、そこまで重要じゃないという事です。
そしてそのようなことが繰り返されると、あなたがいくら愛されたいと思っても、試すような彼女を愛してくれる彼氏はいない、そうも思っておいた方が良いでしょう。
愛すると言うのは自分の心をさらけ出すようなもの。
それなのに、自分を傷つける人相手にいくら「愛されたい」と懇願されても、愛を渡すなんてことできませんよね。
好きなら、自分が傷ついても愛してくれるはずだなんて思っていても、人は中々臆病なものです。
自分ができないことを、相手に求めるのは酷ですし、もし愛されたい気持ちがありながら相手を試すような事ばかりしてきたのなら、それを一切やめるようにして相手に安心感を与えていくようにしましょう。
愛されたいのに愛されない自分を自分で作り上げるのはやめにしなければ、この悪循環からは抜け出せません。
愛されたい人はそもそも愛をわかっていないかもしれない
愛されたいと言いながら、愛とはなんなのかをわかっていない人は多いです。
なので、愛されていたとしてもまず気づかないんですよね。
自分が知らないことは気づきようがありません。
なので、「〇〇をしてくれないから私は愛されていない」なんてことを言いがちですし、「〇〇してくれないと別れる」なんて言っちゃうこともあるんです。
愛の証明を求めるわけですね。
しかし愛と言うのは、なにかをされていなくてもそこにある、それが愛です。
確かに愛があるからこその行動もあります。
風邪の時に看病してくれたり、または看病はしてくれないけど栄養のあるものを置いていってくれたりなどです。
ですがこれは一例にすぎず、全ての愛のある人がこういったことをするとは限りません。
愛があっても、こういったことは気づくことができず、何もしない人であったりもします。
要は、愛は自分なりにその人のことを考え、プラスになるように動いていくことなので、自分基準で相手の愛をはかるというのは全く持って無駄な行為なのです。
もし自分が「〇〇をしてくれないなら私は愛されていない」というのなら、相手に自分がそれをして愛を伝えていけばいいだけのこと。
〇〇してくれないと嘆きながら、自分は相手に〇〇をしたことがあるのかよく考えてみましょう。
自分は愛していない、愛している行動を起こしていないと言うのに、相手にだけ求めるのは大変酷な話です。
それは愛されたいのではなく、「〇〇してほしい」だけだと気づくようにしましょう。
愛を証明する方法なんてありません。
自分が相手の愛に気づくことでしか、愛は実感できないんです。
愛の証明を求めれば求めるほど、もし彼が愛していた場合、自分の愛は無駄なのかもしれないと落ち込んで、愛してくれなくなる危険性もあります。
そんなの、自分にとっても避けたいことですよね。
愛は人それぞれである、これを知っておくようにしましょう。
愛されたい人は愛を知っている人と付き合うと愛することを知れるかも
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