私のコラムでも何度か書いていますが、これは私も難しくて、いまだに「あ、やっちゃったかも……」と思うことがあります。
言葉は、一度口から出たら絶対に取り消しが聞かないものです。
#1で書いたように、それを取り繕おうとしていくら言葉を重ねたところで、最初に受けた心へのダメージや打撃というのは軽減されるものではないのです。
適切に言葉を取捨選択できるようになるまでは、言葉を多く発しようとしなくていいと思うのです。
銃も乱射すれば味方に当たってしまう可能性が増えるように、言葉も一つずつきちんと狙いを決めてかけてあげれば余計な傷を増やさずに済む可能性は格段に上がるもの。
おしゃべりな人って、頭の回転が速いタイプの人が多いと思うんですよね。
話そうとするとあっちこっちの引き出しが開いて、片っ端から放出していく。
そういうマシンガントークな方も多いと思います。
頭の回転が速いのはいいことですが、それが仇となってしまっては意味がありませんよね。
せっかく回転数があるわけですから、その神経を言葉の取捨選択に回しましょう。
このギアチェンジは先述したように難しいのですが、少しずつでも慣れていくことが重要。
言葉が足りなくなって沈黙が下りることを恐れていては、いつまでも自分のためになりません。
普段おしゃべりなあなたが一つずつ言葉を選んで話そうとしてくれているとわかれば、相手も別に嫌な気持ちになることはないでしょうから、相手のことを信じて少しずつ自分に負荷をかけてみてください。
#3 多くおしゃべりすることのデメリットを知る
私が普段感じている多くしゃべることのデメリットで最も大きなものは「言葉が軽薄になる」ということです。
その他にも感じるデメリットを箇条書きにしてみました。
・本当に伝えたいことの意味がぼやけてしまう
→言葉を重ねるので、「この言葉がいいかな?」「こっちかな?」と似た言葉を何度も重ねて結局本当に言いたいこと、その本質を見失っていく。
・飽きられやすい
→人に自分のおしゃべりを聞かせるというのは、相手に退屈な時間を与えるということ。
余程の語彙力がないかぎり、余程豊富なおしゃべりのネタ・テクニックを持っていないかぎり自分のおしゃべりを相手に飽きさせずに聞かせるというのは非常に困難だということ。
・常におしゃべりしていないと不安になる
→おしゃべりな自分に慣れているので、自分がしゃべらないと周りの人が変に思うかな?と妙なことを思ってしまう。
・うるさいと感じられることがある
・自己主張が激しいタイプだと思われる
・他人を言葉で傷つける可能性が増える
→#2で述べたことと同じです。
・人間の底をすぐに見透かされてしまう、もしくはその恐怖に怯え続けなくてはならない
→しゃべることは、自分の中身を削り出すということ。
どこまで掘ったら自分の中身が尽きてしまうのか、常にその恐怖に怯えなくてはならない。
・自分の価値を見失いそうになる
→しゃべらなくても他人からの人望がある人を見ると、自分の価値を見失いそうになる。
ざっと書いてみただけでもこれくらいあります。
しかもその中の殆どが自分の人間性の部分、人としての根幹に関わることだと思います。
私がしゃべりすぎないようにしようと思ったのは、このことに気づいてからです。
しゃべることってエネルギーが必要なのに、そのわりには失うものも途方もなく大きい。
もちろんしゃべらない、しゃべれない人からしたら同じように悩みがあるのかもしれません。
伝えたいことをうまく言葉にできない、自己表現の限界を感じるという苦痛もあることでしょう。
しかし、いまこれを読んでくださっている方のようにおしゃべりであることに困っている方にとっては、それよりもこちらのほうが悲痛な気がします。
このことを踏まえて、もう一度自分が本当にほしいのはどちらなのか、検討するのがいいでしょう。
#4 どれだけ言葉を尽くしても伝わらない相手はいると知る
※表示価格は記事執筆時点の価格です。現在の価格については各サイトでご確認ください。
※本ページはプロモーションが含まれています。