愛することを始めるとわかるのですが、見返りをそこまで必要としなくなります。
例えば好きな気持ちに対して自分のわかるような好きという愛情表現を返してもらえなくてもいいや、という気持ちになるんですよね。
ちょっと悟りの域に入ってしまうのですが、例えば彼が自分以外の女性と楽しそうにお酒を飲んでいたとしても、私が彼を好きな事とはまた別の話なんですよね。
彼が私以外の女性と連絡を頻繁に取り合っていたとしても、どうだっていいんです。
自分の中の「好き」を信じられる、と言いますか、愛することを始めるとどういった事があっても、不安が沸き起こっても「私が彼を好きなのは変わらないし」とあっけらかんとすることができます。
愛することを始められなかった私なら、色々な女性と仲良くしている彼だとしたら、強く追及しているかもしれませんね。
愛することを始めると好きだから仕方ない、そう思ってしまうようになるんですよね。
これが良い事なのかわかりませんが、連絡をあまりしない付き合いでも不安に引きずられることがなくなりました。
それを考えると、愛することで不安に引きずられることのない自分を得ているので、結局は見返りを貰っていることになるのでしょうか。
そもそも、彼が存在していることこそが見返りなのかもしれません。
私が愛することのできる彼が存在している、ここまで深く想うことのできる彼が居る世界が、素晴らしいとも思うんですよね。
今の言葉で言えば「尊い」です。
ここまで行くと、落ち込むことがあれど中々楽しい日々になりますよ。
愛することができなくなる瞬間もある
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