欠点を良い風に解釈する
やはりあばたもえくぼとするためには、その男性の「欠点」に対する見方を根本的に変えていかなくてはなりません。
「欠点」が「あばた」なんですから、そこを外してあばたもえくぼとは出来ないはずなんです。
簡単に言ってしまいますけど、その男性の見る目を変えるのであれば、欠点を良い風に解釈してみては如何でしょうか?
例えば...
「優柔不断」→「あらゆる可能性を考える」「とても慎重」
「頑固」→「自分を持っている」「ブレない」
「太っている」→「かわいい」「触ると気持ちよさそう」
など、上記はちょっと極端ながらも、これだけ見る目を変えてしまえるのなら、その男性の欠点が何であろうとあばたもえくぼにしてしまえるんじゃないでしょうか?
ただし社会的に問題がある欠点とか、他人に迷惑を掛ける可能性のある欠点は当てはめてはいけません。
きっとそういう欠点だと、何をどうやっても良いところにはならないはずなので大丈夫でしょうけど、例えば「悪(ワル)好き」の女性だと意外にそうでもないと考えられるんです。
未成年、または思春期の女の子はその傾向が強いと思われるので、あばたもえくぼもいいんですけど、それが社会的に問題がないかという前提だけはチェックしなければなりません。
成人女性であれば常識は備えていると思いますので、特にこの件に関しては説明するまでもないでしょう。
でも実際、優柔不断などは世間的にネガティブなイメージがありますし、それを良いところとするのはちょっと難しいところがあると思います。
これまで自分が培った常識もありますし、「今日からこの人の優柔不断は、良いところとします!」は、難しいと言うより無理だと思うんです。
どんな欠点でもいいので、まずは「どうしてこの人は○○なんだろう?」と、男性がそういう性格だったり反応だったりする、背景を考えてみましょう。
それで男性に対する理解を深められたり、あわよくば背景そのものがある程度予測出来るかもしれませんので、その○○という欠点に対する考え方を変えられる可能性が現れます。
あら探しをしない
人のあら探しは、あばたもえくぼとするための最大の敵だと言わざるを得ません。
何せ「わざわざ」欠点を探すんですから、それに伴ってフィルターや色眼鏡も掛かっているでしょうし、良いところとするために邪魔でしかないと言えるんです。
「あえてそんなことしない」と考える方も一定数いると思いますけど、一緒にいたり付き合ったりするに際して、相手の欠点も知っておかないとなんて考える方も決して少なくないんです。
なのでわざわざ欠点を見つけては減点をしたり、そのくせ良いところはあまり見つけずに加点がなかったりなんかして、日本の減点方式という教育が骨身に染みた証拠と言えます。
そのため、せっかくの恋愛のチャンスをフイにしてしまったり自ら手放したりで、それでは本末転倒なんじゃないでしょうか?
と言うことで、もうあら探しはやめておきましょう。
あら探しは自身の恋愛をフイにするだけじゃなく、人の欠点を「わざわざ」探すことから、色眼鏡やフィルターを掛ける傾向が強く、結果的に性格を悪くしてしまう可能性もあります。
そんなことよりも、あばたもえくぼと言うより「良いところばかり」探してみる方が、恋愛においてはよっぽど建設的だと言えます。
ただし、あら探しをしなくても「勝手にその男性から見える」欠点は、もはや欠点でしかないことが多いので、大いに参考にしておきましょう。
欠点を良いところにするのがあばたもえくぼですけど、一緒にいたり付き合ったりするに際して障害にしかならないのは、もはやあばたの域は出ないんです。
この事から、ちょっと話題が変わってしまいますけど、あばたもえくぼにするのには「限度がある」ということになりますね。
前項の「社会的に問題がある欠点」とか、「他人に迷惑を掛ける可能性のある欠点」がそれに当てはまりますので、そこは無理にあばたもえくぼにはしないようにしましょう。
欠点で何かを得られたと考える
この場合の自分視点が、どのようにその男性をあばたもえくぼにしてしまうかですが、例を挙げると
「彼は○○だから一緒にいて安心出来るのかも」
「彼って○○だから逆に楽しいのかも」
「○○な彼だからかえって良かったのかも」
など、○○という欠点が逆に自身にメリットや良さを生んだと考えて、その男性の欠点をあばたもえくぼにしてしまうという見方です。
「気のせい」だったり「思い込み」の域をでていないものもありますけど、肝心なのは自身があばたもえくぼに出来るかという点なんです。
そしてそういう思い込みは恋愛にはとても大切で、そんな思い込みだけであばたもえくぼにしてしまえるのなら、きっと欠点がどんな○○(常識的な範囲で)でも気持ちは揺るがないことでしょう。
なので、その男性の欠点が逆にどんな自身のメリットや良さになるかを、一人でいるときにでもじっくりと考えてみましょう。
ただしこの見方、あばたもえくぼとしたいがために逆に欠点ばかり探すことになってしまって、良いところを探さなくなるという本末転倒な結果を招く可能性があります。
なので、欠点によるメリットや良さというのはあくまで「ついで」で考えて、まずはあばたもえくぼじゃなくって「良いところ」を探すことを忘れてはいけません。
欠点はやはり欠点で、それをメインに探してしまうと目的こそ違うものの、前項の「あら探し」と何ら変わらないので注意しなければならないんです。
良いところを探しているはずなのに、何故か欠点とか悪いところしか見えなくて、しかもあばたもえくぼに出来ない...そんなことにならないように、先に良いところがあれば別にあえて欠点なんて探す必要はないんです。
一個人じゃなく公の立場で評価してみる
どうやってもあばたもえくぼとならない、欠点が欠点にしか見えないのなら、その男性を一個人じゃなくて「公の立場」で見てみるのも、結果的にあばたもえくぼとなる可能性があります。
理由ですけど、まず一人の人間を一個人で評価しようとすると、そこには性格とか考え方とか、内面的なものが深く評価に関わってくることになります。
内面的なものが深く関わるんですから、人付き合いに内面的な要素が必要不可欠なことから、そこがあばただと困ることになる訳です。
もっともその場合なら、これまでの見方であばたもえくぼとすることするでしょうけど、今回の場合は「これまでの見方じゃ無理」という方に向けてです。
なのでそこを一個人とは逆の「公の立場」で見ることで、これまで一個人じゃあばたしかなかったのが、公の立場を理解した後では大きく見方が変わるかもしれません。
例えば...
仕事がバリバリ出来る人だった
実は会社の重役または代表取締役だった
職場では頼れる先輩だった
なんてことがあれば、欠点ですら良いところに見えてくるようになる...要するに、あばたもえくぼに出来るんじゃないでしょうか?
ですがこの見方、何となく「お金持ちに群がる適齢期女子」みたいな感じがして、嫌な気持ちになる方はとことん嫌な気持ちになると思います。
でもそれは違うんです。
この見方は「一個人」だけでなく「公の立場」も考慮して、「総合的」に男性を評価しているという考え方になるんです。
これまでご紹介した見方が「一個人」に対して、この項目は「総合的」にその男性の欠点をあばたもえくぼと出来る見方なだけであって、それ以上それ以下でもないと考えて下さい。
何か都合のいい考え方と思われるかもしれませんけど、あばたもえくぼと出来るのならそれは本心なんですし、やましい気持ちがないのなら胸を張れると思います。
胸を張れないのは、きっとあばたもえくぼに出来たんじゃなくて、「メリットが大きいから欠点に目をつむっている」だけなんです。
そうじゃないのなら、恋愛に発展するのに遠慮なんて無用です。
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