病気をしてしまったとき
実家暮らしのときは、自分が病気をしてしまえば母親が自分を看病してくれました。
そこには何も心配することがない世界がありました。
ですが、一生独身となれば病気をしてしまえば頼れるのは自分だけ、苦しい状態で飲み物が欲しくて薬がほしくても、自分で動かなければ一生手の届かない場所にあります。
そんな、病気で苦しくても誰も助けてくれない状況、病気でも一人で何とかしなくてはならない状況を振り返って、一生独身であることを後悔してしまうのです。
これが既婚の女性であれば、夫が仕事を休んで看病をしてくれたり、そうでなくても自分の代わりに子どもの面倒を見てくれたりなど、何らかのフォローがあると思います。
従来は、たとえ妻が倒れても夫はなかなか動きませんでしたが、昨今は協力的な男性が激増していることから、既婚の女性が病気となれば大いに期待ができるのです。
まあ男性によりけりなところがあって、病気で倒れてみないと分からないところもありますので、一概に病気で倒れたからと一生独身を後悔する材料とは言えないのかもしれません。
がしかし、一生独身が確定しているのならそれは「絶対にない」のです。
既婚の女性は「助けてくれるかどうか」と悩めるだけマシで、一生独身であればそんなことは絶対にない、絶対に一人で何とかしなければならないのです。
その差は大きく、そこにある「確実な結末」も相まって病気のときはいろいろと諦め、ただただ横になって回復を待つだけの一生独身の自分が、本当に嫌になってしまうのです。
子どもがはしゃいでいるのを見たとき
「子は宝」ですが、一生独身であれば未婚の母でもない限り子どもを設けることはありませんので、普通は子どもがいないことになります。
この事により近所ではしゃいでいる子どもを見てしまうと、今後絶対に生まれてくることのない我が子を想像したり、またそれをはしゃぐ子どもたちに重ねたりした結果、一生独身を後悔してしまうのです。
これについては、これまでご紹介した後悔の瞬間の中でも非常にダメージの大きいもので、きっとそれは母性によるところが大きいのだと想像できます。
状況が状況なら、もしかするとその子どもたちは自分の子と友達だったかもしれませんし、その子どもたちに○○君のお母さん!とか言われていたかもしれません。
でも一生独身である今それは妄想でしかなく、自宅の窓から外で遊んでいる子どもを見ては、どうして自分は独身なのか、どうして子どもがいないのかと後悔・・・いえ、涙するのです。
ですので一生独身を自ら決断した女性であっても、この場合の後悔によるダメージは極めて深刻のようで、すぐさま結婚相手を探そうとする方も少なくありません。
まあそれだけ子どもという要素は、女性にとって非常に大きなアドバンテージを占めている、また影響という面でとても強いのでしょうね。
母性というのは、それが自分の子でなくても現れることがありますので、自分の子じゃないのに母性が出てしまえば、自分の子が欲しいと思うのも無理はありません。
ただ、いくらそれで後悔のダメージが強いからと、未婚の母になるような結末を迎えるのだけは絶対にやめておきましょう。
子どもという目的は果たせるのかもしれませんが、わざわざ選ばなくていいシングルマザーをあえて選んでいる時点で、それはただの自己満足で子どもが気の毒です。
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